ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

「旅」について思うこと  ____5

 

 

人生は旅である。

と、どんな人でもふと思ったことがあるかも知れない。

文豪や哲学者もそんなふうに感じていた言葉も残っているようだ。

 

 

ひとり旅という言葉は使うが、ひとり旅行とはあまり言わない。

ひとり旅は、ひとりで生まれひとりで死んでいく人生のあり様と重なる。

人生哲学のような、ひとり旅という言葉に対し

「旅は道連れ 世は情け」という言葉は人生の教訓、生き方を示唆している。

何が違うのか、考えたらきりが無さそうだから、ここでは考えるのはやめておこう。

 

旅行に含まれる意味は、イベントあるいはレジャーであり、

旅の持つ、味わい深さ、あるいは重みのような匂いはしない。

 

言葉のニュアンス、含意について羅列してみよう。

旅には、無目的であることもあるし、

目的や都合があっても、旅になることもある。

旅行というものは旅行そのものが目的である。

旅は、帰ってくることもあるし、行ったきりになることもある。

旅行は行って帰ってくることを前提としている言葉である。

と、とりとめもなく「旅」と「旅行」について思いを巡らしてみる。

 

熊が旅に出るという言葉はしっくりくるが、

熊が旅行に出るというのは奇妙に感じる。

 

タンポポの種が旅をした、という言葉に、想像力が湧くが、

タンポポの種が旅行をした、という言葉には、違和感がある。

 

旅をする魂。

旅する魂。

「旅」に「を」(格助詞)をつけるか否かで、

名詞である言葉に動詞的な含みが湧くような気もする。

 

 

 

宇宙は意識の海を旅している。逆も真なり。

意識は宇宙の海を旅している。

どこまでも拡大解釈できる摩訶不思議な「旅」という言葉、概念。

旅に含まれる意味を私なりに分解して解釈すると、

見えない世界の「二度とない時間」と、

見える世界の「二度とない空間」を

いかようにも楽しむことのできる意識体験であり、

抽象的であるけれども、無常を意味する、変化し続ける、

旅も、また自然摂理の一部と言えるかも知れない。

 

 

旅行という価値観をさげすむような表現になってしまうが、

きっと日本人なら誰しも、旅の意味に比べ、

旅行というものを世俗的に感じている面はあるだろう。

思うに、金銭礼賛の物質文明社会だからこそ、

旅行という行為・概念が通用するのかも知れない。

 

日常と非日常の境目がはっきりしていて、

家があり、帰ってくることが前提である。

ほぼ乗り物を使って、快適であることも重要だ。

現代人の多くは仕事と遊びの時間が分かれている。

仕事で得たお金を日常と非日常に振り分けて使っていく。

旅行は、現代社会に於いては、非日常を作るのに重視される

大切な時間の過ごし方でもある。

 

旅について哲学的な話を書きたいところだが、

そこまでワタシは人生経験豊かでないから、

ひとまず、このくらいで横に置いておこう。