ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

ちまたの音楽や映像・画像が発信配信される意図、行方に。。。何となく感じること__その3

 

 

話を演歌に戻そう。^^

 

昭和40年代前半の生まれであるワタシが少女の頃は、

演歌が流行歌として全盛期であった。

だが、幼い頃のワタシは演歌を街のどこかで、

TVやラジオで聞こえてくるたびに、

耳を塞ぎたくなる程、苦手だった。長調の演歌はそこまで

毛嫌いしていなかったが、短調の演歌が大嫌いだった。

が、ふと気を許すと歌詞が耳に届き、それを解釈、受け止めると、

あまりにも重くて心がざわつき、両手で耳を塞ぎたくなる

衝動に駆られるほど、生理的に耐えられなかった・・・

そんな記憶が今も残る。

 

一体、どういう人たちが短調の曲、悲しい人生を歌った歌詞に

心を動かされるのだろうか、と。

 

大人たちの複雑な心理。夜の世界での感情の捌け口。

家庭の悩み、将来不安、生活、仕事、お金の不満や失敗、不倫や失恋。

心配・不安、後悔、憧憬や焦燥、嫉妬、諦念、悲哀、自己否定、自虐。

執着、あらゆる罪悪感。。。

 

暮らしに疲れた大人たちが、どこかのカビ臭い空間で、

流行歌、重たい波動の音楽を聴きながら、憂さ晴らしに

人生の悲哀を音に、歌詞に、感情をのせ溜息をつき、共鳴し、

明日への生きる気力を絞り出しているのだろうか・・・と。

 

生理的な感覚からか。これから生きていく幼いワタシは、

人生ドラマの暗い面を拒絶したい気持ちが込み上げて来て、

「嫌い」だったのかもしれない。

 昭和30〜40年代に演歌と並行してビートルズの影響であろう

若者向けの華やかで軽い流行歌もあったけれども。

 

時代は流れ、昭和の末から平成の時代にかけて、流行歌のトーンが

はっきりと変わったことを感じていた。

その頃から、流行歌が悔恨を癒すような重たい歌詞、歌謡ではなく、

人形よろしく着飾ったアイドルらが、言わば稚拙な恋愛気分を歌う

歌詞やメロディーに変わっていったと思う。

その頃、思春期にさしかかり、錯覚か?!

時代は明るい方へ向かっているようにも感じていた。

思えば、幼い当時の昭和の後半は、

高度経済成長で活力を取り戻した日本社会と言えど、

第二次世界大戦の爪痕もまだ残っていた。

時々、繁華街には軍服をまとう元兵隊さんが

戦地で、片足を失い、募金(カンパ)を求める姿が記憶にある。

祖父母の戦争中の話を繰り返し聞かされたり、

戦後GHQの占領下に、日本人がどんな扱いだったかを父母からも聞いていた。

戦争で夫を亡くした知人や親戚のこと。空襲で隣人が無残な死をとげ

それを目にしたこと。学校へ行けど、軍事演習よろしく、

戦争のための労働を子供たちも強いられた。

50Km先の街の空が空襲で燃え赤くなっていた日のこと。

空襲の最中を祖母は幼い父や叔父を乗せた乳母車を押し逃げ惑い、

命からがら助かったこと。疎開のため荷物を送ったが、

国鉄への空襲で全て焼けてしまったこと。

食糧は配給制となり、一般国民がかつてない

ひもじい生活を数年間続けざるを得なくなったことも

繰り返し聞かされた。今の2000万円位を米一俵を得るのに使ったこと。

雑草を食べることもあった超食糧難、

そしてあらゆる物が失われた、無くなった昭和16〜20年〜23年頃、戦中戦後の時代。

 

 

ところで、音楽そのものは実は短調の曲の方が、

人の心を癒す性質を持っているらしく、流行歌が

重い演歌など、短調の曲になっていたのも、戦後の重さを

まだ引きずっていた当時だから、大衆はそれを受け入れ

やすかったのかもしれないと、後になってそんな解釈もした。

 

 

今の時代に目を転じ考えてみると、

社会問題に発展してしまう勢いで、多くの人間が不倫

不貞に興じていたり、風俗の世界に身を置き、性を売り

生活を凌ぐ人がある昨今。子育てを公的機関に任せ、

金銭労働を否が応でもせざるを得ないライフスタイルに

世の中の金銭礼賛の風潮がそう仕向けてもいる。

家族愛は風前の灯火と化していることをそこかしこで聞く。

他人事ではないのだが。

 

 

 

 

幼少期に流行した大衆歌謡。

その歌詞は不倫を歌い、失恋を歌い、奈落の底に落ちた女性の哀歌

裏切りや憎しみを男女の物語として何気なく大人たちが口ずさみ

その横で子供の頃、耳にした昭和の末までの世代。

その世代が、家庭を持ち子供を産み育てた平成の時代。

感情、欲求、欲望が、無意識の中で外部からのマスメディアの

音楽や映像で、魂を見失うような暗い未来ビジョンが、

実は流行歌などの使い捨ての音から、言葉(言霊)から、

影響を受けて来たことも考えられるかもしれない。

想念が、様々な音や文字で汚されている可能性がある。

もちろん、映画やドラマ、小説もそれと同様だ。

感情を汚染され、欲の方向が歪んでいくよう、

大衆があらゆるマスメディアを無意識に享受できる環境を

奴らは技術等で作り出している。

 

 

潜在意識に影響する幼少時代に、受けたマス(大量)の影響が

次世代社会、その風潮を作り出してしまう。

 

妊娠中に、不倫を歌った歌謡曲を聴くよりも、

ヒーリング音楽やクラッシク音楽の方が、胎教に良いだろうことは

今更、言うまでも無いだろう。

 

 

昨今は、人形化したアイドルの「グループ」がマスメディアを席巻している。

20年位前からすでに映像画像は幼稚化を促すような

CGアニメ映像がもてはやされている。

 

前述した考え方を踏まえれば、

マスゴミ・マスメディアを支配する体制の意図が、

日本人の幼稚化・ロボット化 そしてアンドロイド化を加速を促すべく、

若年層の無意識に刷り込んでいることが窺える。

 

流行が、時代が、と安易に受け入れたり、

流行遅れとして

伝え続けてきたかけがえのないこと、

大切なことを切り捨てていくことが、

普遍性を見失い、

偽正義や偽倫理観に翻弄され、個人の闇が深まっていく。

個々の大衆のその闇こそが、偽ユダ勢力のエネルギー源とも言える。

 

*************

 

なぜ、数十年前に歌謡曲が重くて暗いく淫らな歌詞を

なんとなく、皆が聞き口づさんでいたのか。

無意識であるから、口づさんでしまっていたのか。

流行というものが、恐ろしい汚染脳であることに気付かない。

 

垂れ流されるアチコチの大衆音楽がいつの間にか

大衆各自の深層心理に潜り込み、

社会構造の破壊は長期的な意図をもって、

謡曲、歌詞にさえも、含有されているだろうことを

今一度、指摘したい。

 

そして、歌手に限らないが表現する才能のある者が

時に、純粋に親孝行のため、誰かのために自分の本意とは違う、

己を商品商材として、お金のため、

金銭を追い求める生き方を選ぶとき、

悲しいけれども世の中に、

負の種蒔きになる可能性があるのではないだろうか。

 

誰かを喜ばせたいが為に、と止むを得ないとしても、

それを自覚し覚悟して己を商材として

生きる表現者など、皆無だろう。

単にその恐ろしさを知らないのだろう。

 

右も左も知らない表現者たちが、夢だとか成功、お金のためとして

何者かを目指し金銭社会で負の種蒔きをする時、

それは〝ルシファーの供物〟になっていくこと

自覚した方が良い時代になって来たように思うが、どうだろうか。

 

 

 

 

【ひとりごと】

聖書の世界が無知であるワタシにとって、

書いて良いものかどうかわからないが、

〝イサクの燔祭〟に近いことが希釈され広がって現代社会の現象に

なっている気がする。

 

もともと、日本人は神という考え方は、

八百万神・・・宇宙摂理であり、

自然界はギブアンドテイク・契約・交換条件では無い。

 

 

〝神との契約〟というものが不自然に感じる。

 

(神との契約の時点で、自己救済の希求・利己がある。

〜無償さ〜を人間が大いなる自然に〝望んだが為〟

それと引き換えに、人間の疑念を〝証明する意志・行為〟を

一神教の〝神を信じる〟としたのだ、と思ったりする。

自己欺瞞が正義となった。

欧州ユダキリ教の虚の世界が、あっという間に世界中を覆ったのだ。)

 

彼らの言っている(聖書の世界)神は、堕天使である。

日本支配層も明治以降は彼らの世界観(一神教)なのだ

 

 

ルシファー的世界観に埋没しているこの世界。

虚の想念の枠の中で繰り返されている666の世界。

(元ユダ地球人・現金星人&地底人種が、地球に数千年間の関与か?!)

現 金.星人ダヨ(笑)

 

聖書にまつわる啓蒙、

その信者さんらが、宗教物語が心の支えになり、

照らし合わせ、一過的な原因の解明、救済の一助として、

虚の世界で、その言説が参考に、役立つのは、

当たり前だ、ということである。