大衆に届けられるマスメディアからの音楽に
変遷があることは言うまでもないだろう。
技術の進歩?変化で音楽制作の現場でも、今やコンピュータ
無しでは成立しない。Appleは1970年代から音楽をPCで制作できる
道具として、進化してきたのは皆の知るところだ。
ところで、技術云々の話ではなく、音楽というものも流行という形で、
時代の空気を作るのに一役買っている。ほぼ半世紀を一応、思い出す
ことができるワタシにとって、音楽や映画、ファッション、美術や文学に
偶然にヒットする、流行したとは言えないことを感じるのである。
例えば、ファッションやデザインに流行色や流行のスタイルというものがある。
これは有名な話だが、2〜3年前から流行るように
計画し決めてあるということだ。現場をワタシは知らないが、
例えるなら、流行色がいち会議室で決まっている、と言っても過言ではないのだろう。
そうした話しをファッション業界に身を置いた人から聞いたこともある。
発信者、生産者側は、不透明なガラスの向こうの密室・会議室で、
風潮や流行、世相を意図的に作っていると言えるだろう。
マスで流されるそれら流行が、
結局、消費者の行動を促すため、問題や悩みが消費行動に繋がるように。
密室は政治だけではない。
カルチャーというものも、意図的に密室で作られている。
大衆の集合無意識が作っている訳ではない。
むしろ必需品の消費よりも、
嗜好、好き嫌い、感情に影響を与えるものの方がドル箱として、
市場規模が無限大であることを国際金融家は熟知しての、
密室からの流行・世相操作が必須であろう、と。
カネを巡らす経済が根底にあるものは、
すべからく神の見えざる手と称して、
その実態は、国際金融家らの手によって、集合無意識さえも手の上で
約200〜150年間ではないだろうか。