ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

「旅」について思うこと  ____4

 

 

話は逸れるが、何かの大きな美術展覧会が催され、
足を運んだことがある人も大勢いるだろう。
その展覧会に行くきっかけは、街角のポスターだったり、TVの紹介番組だったり、
店頭のチラシだったり、代表的な絵画の印刷物や画像を目にして、
好奇心がそそられ、行った人も多いのではないか。
もし、その代表的な絵画の画像を事前に目にしなければ、行くのかどうか。
単に、(原始的?)人から聞いて行くより、

その展覧会に能動的に行く気になるのかもしれない。
(最近では、そうしたマスゴミ情報の拡散も、
スマホ等台頭で印刷物やTVの喧伝威力が衰退しているから
少し前の世の中の動向であろうか。)


●●展では、印刷された絵画と、展示の実物を比較しながら、
「やっぱり実物はすごいねぇ」と
呟く、見学者。あるいは、心の中で、印刷物より印象が薄くて落胆するなど。
ワタシも印刷物や画像に影響されるそのひとりであった気もするが、
つまり画像を駆使した前情報が多い程に、能動的に、
自主的に選択した気がする。(←ここが現代の汚染脳である所以と思う)

 

かつ、教育や経済活動由来の、
比較で物を見る思考も、いつの間にか刷り込まれている。
前情報が全く無く、その実物の絵画と対面した時、きっと違う印象や感想・感動が
起きるのではないか。前情報が当たり前過ぎて、
間接的かつ前情報の印刷物や画像映像は、
固有の、オリジナルの、感想感動や想像を阻んでいるかもしれない、と思うのだ。


(原始的な手法の)人から聞くことは、
曖昧のようだが、自分なりに思考・問答する所作が起き、
丁度良い知らせ、情報としての価値を足らしめる、ように思う・・・。

実物を見る行為が、前情報(ほぼ喧伝情報)、
過去の情報と実際の体験の実現性の中に、
快感を見出す行動が、単に確認作業になっているようにも思う。

いわゆる目的の達成感のようなものにすり替わる。
現代人はそれを好奇心が満たされたとして
納得する習慣・思考回路になっているのではなかろうか。

 

それは旅行でも同じことが言えると思う。
最近ではインスタ映えという言葉で
沸き立つ、巷の風潮が顕著だろうか。
インスタグラムのベストショット画像を多数の人が共感し、
そこへ旅行したくなる。特別な何かを食べたくなる。
どこぞの誰かの旅行先の幸福そうな佇まいに憧憬を抱く。

少し前の世の中の風潮であれば、
TV番組のタレントやレポーターらが海外を
取材したものを見ると好奇心を刺激され
視聴者側は同じような経験をしたくなる。
雑誌のグラビア写真、旅行パンフレットなどで、
判で押したような欧州の古城や庭園の画像を見て、
セレブな旅行に憧れる。
一般的な旅行者がいない秘境や現地・他民族の独特な習俗を映像で見れば、
個性的な旅もどきのイメージが膨らんで冒険心も駆り立ててくれた。

高級ホテルの映像を見るとそこに佇む自分を想像する。
美しいリゾートホテルのビーチの写真は
ゆったりとした休暇を演出してくれそうだ、と。

画像映像で好奇心を促される。

それは人生に不可欠な旅への憧れではなく、
先述した前情報による衝動、欲求欲望は、
所詮、大衆=ゴイム脳が反応しての、
消費としての〝旅行〟に過ぎないだろう、と思う。