旅行と旅という言葉、熟語と単語について
子供の頃、考えていた記憶がある。
観光という熟語を習った時、「カンコウ」という音から、
観〝行〟という漢字と、勘違いしそうだが、
明治初期の使節団が成したとされる、文明開化としての
「光」を観るという意味合いの旅であるような
「カンコウ」の説明が、子供心に印象深かった。
(今の私は〜【文迷】と捉えているが、当時はそんなことは知る由もない。
しかもilluminate/光を照らすカラダッタノカ?!)
多分それは、小学高学年の時の、先生の補足の余談であったと思う。
その余談を聞き私の中では「観光」という熟語が、明治以降という
印象であり、同時に旅行という熟語も明治以降だろうと考えた。
訓読みの「旅」という言葉は江戸時代までの、
機械化・燃料動力化(燃料を使って移動する手段・自動車や電車)
されていない社会の、足を使う、人と触れ合う、
そして旅情を感じることのできるものが旅だと受け止めた。
時間の消耗量と移動の距離量の違いと、様々な出会い触れ合いの増減が、
「旅」と「旅行」は、似て非なるもの、と
今も、そんな風に感じている。
現在は、「旅」ではなく〝旅行〟という感覚が一般的だと思う。