ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

大晦日のカラスたち

 

また、大晦日のこと。

 

12月31日、近所の食品スーパーへおせちなどに

必要な調味料等を少し買い足すのに出掛けた。

店内は年末最終日の買物客で大賑わいだ。

ショーケースには溢れんばかりの食材。

盛り沢山の野菜や果物が入り口付近に。奥の鮮魚売り場には、

カニやエビ、鮭や鰤、数の子、刺身、お寿司・・・

珍味、練製品、お餅、おせち食品、年越し蕎麦、惣菜、

牛肉、豚肉、鶏肉・・・

あらゆる食べ物が賑々しく並んでいる。

 

人混みと、普段より豪華な品揃えに、ワタシは気圧されそうだった。

必要な品を購入し、そそくさと店を出た。

その他、用があり次の場所へ自転車で向かっていた。

 

年末年始の休暇とあって、自動車も人通りもまばらだ。

お陰で、空気はいつもより澄み騒音も少なく、

よく晴れており寒過ぎず、外は心地良かった。

 

 

帰り道、集合住宅の前を通りかかった。

仮住まいの建物で帰省の人が多いのか。

ゴミ集積所には、どっさりゴミが積まれ、そこに

6羽くらいだったか、カラスたちがゴミ袋を漁っていた。

散乱する紙くずや器が、明日の新年には相応しくなかった。

が、ワタシの家は少々離れた場所で掃除道具を

持参する気力もなく、やり過ごし、ともかく

その町内の住民に任せることだろう、と。

 

それより、カラスたちのその様子が

殊更に哀しく映った。

カラスたちが一生懸命漁るゴミ袋に、

彼らのお腹を満たす食べ物は見つかっただろうか。

さっき行ったスーパーには溢れんばかりの食材と、

嬉々として食材を選ぶ人々。

カラスたちの暮らしぶりを重ねた。

ゴミを漁るカラスたちの姿は、よく見る光景だけれども。

 

 

改めて考えると、同じ生物であるにも関わらず、

あまりの落差に、胸が締め付けられる思いがする。

何という残酷だろうか。

 

自宅に戻ってから、果物か、カラスが好きだと聞いたマヨネーズを

動物性の食べ物に付けて、その場所に置きに行こうか、とも

思ったが、さすがに人目を憚ってまですることではないか、と

諦めたのだが。。。

 

**************

 

偽ユダに牛耳られてしまった、

現 代 日本の行政や狂育、マスゴミ諸々、現況の有様では、

他生物と人間の生活が心地よく調和する環境、

人間や他生物が本来あるべき生活など、

到底、望めない。

 

 

人間は地球の果てまで食材を求めかき集め、カネという道具さえ

あれば、何でもかんでも手に入り食べられる。それに引き換え、

カラスたちは人間の食べ残し捨てられた、わずかな食べ物を

必死で探している。

 

カラスもカネを持てば、美味しい食べ物がたらふく

食べられるかの如くの、金銭礼賛・飽食肉食礼賛の社会。

カネを操る知恵がない人間以外の生物は、

地球で益々生き難くなるということか‥。

ちゃんちゃら可笑しい。

 

カラスは、元来、自然界のお掃除を担っている

有難い鳥だとワタシは思っている。動物などの

亡骸をついばみ、大地でタンパク質が過剰に腐敗するのを

防ぐ役ではないかな‥。更には現代人には気付けない

もっと深い役割があるかもしれない。

ワタシたち先祖、江戸社会の人々の持っていた、

他生物への温かい眼差しや、豊かな自然からの叙情と、

その暮らし方に思いを馳せる。

 

 

眉唾言説も多い気がするベ ンジャミン フルフォ一ド氏だが、

〜闇の権力は“魚にさえも水代を支払え”という社会にしようとしている〜

というような的を得た言葉が、著書に綴られていたことも思い出す。

 

 

人間同士では「まず、与えることだ」とか、

新 約 聖 書だったか。与えよ、さらば与えられん。

と、精神論や宗教観を熱心に実行しようとするのに。

 

なぜ、ありふれた何処にでもいる人間以外の生物には、

食べ物を与えるな、汚くなるから!

産ませるな、街が汚れるから!と、

冷酷にがなりたてるのか。

なぜ、そこまで厳しくしてしまうのか。

 

明らかに、食 物 連 鎖を破壊して来たのは人間のせいだ。

野生の生物たちが、日々の食に

ひどく難渋しているにも関わらず。

 

*********:

 

肉食は生物の命のみならず、地球の膨大なエネルギーを

費やすことも忘れてはならない。

元来の食生活を逸脱している、

現 代日本人の肉食礼賛は病的だ。

偽ユダらに、そう仕向けられている。

もちろん、それは汚染脳に他ならない。

それが、カラスたちのゴミ袋漁りの食事に、

最も加担していることが、解らない。

気付かない知ろうとしない、

結局は、私たち現 代 日本人の責任である。

 

マスゴミや狂育現場の情報の影響が大きく巧妙で、

現代日本人はすっかり動物性食物に偏ってしまった。

カラスたちの好物の匂いが、ゴミから漂ってくるのだから、

漁ってしまうのは当然の成り行き。

 

本当に、汚れて、汚ないのは

カラスがゴミを漁った後の“町内”ではなく、

肉食・工業加工食品が、

大好きになってしまいそれらを飽食している、

現 代日本人ワレワレ「腸内」(苦笑)

 

人間たちはたらふく食べられる食材があるこの日本で、

野鳥や、様々な生物たちは日々の食も住処もままらない。

植物もF1や遺伝子組換や、外来種の樹木が増え続け、

昆虫の生態も年々滅茶苦茶になって来ているだろう。

昨春はチョウチョが、昨秋はトンボが、

随分と減ってしまったことも気になっている。

自然破壊がこのまま続くと、カラスも含め

ありふれた身近な生物のほとんどが、姿を消してしまうように思う。

 現 代 日本人が汚染脳で潔癖症になっているから、かえって

快適だと思う人もいるかもしれない。が、それは巡り巡って

自分の子孫の存在を絶つことに繋がっているだろう。

 

 

1ヶ月程前のこと。別の場所のことであるが、

知人が「この辺りは、ごみ収集の日に、

そこの壁に黒い塊になって怖い程のカラスが集まってくるの。

嫌でしょう。」とこぼしていたことも、思い出す。

 

それを聞き、ワタシは心の中で

『自然環境が破壊され、生態系、食物連鎖も壊れてしまっていること。

肉食・加工食品に偏っている、現代日本人の責任であること。

ゴミ収集と焼却という短絡的な行政しかせず、

残渣(糞尿屍も)を土に返す生活にさせない都市整備・社会システムであること。

カラスは、人間にそれらを警告してくれている、と受け止めるべき。』と、

伝えたかったが、知り合ったばかりだったので、

なま返事でやり過ごした。言えばよかった、と

晦日のゴミを漁るカラスたちを見て、後悔したことだった。

 

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自然環境が本来の姿を取り戻さなければ、

自分の健康や美容、容姿に執着し必死で努力しても、

所詮無駄なように思う。

 

 

そろそろ・・・ 

地球で「生かされる」ことだけに

目を向ける、感謝するだけでなく。

「与える」という精神論を

人間同士だけで完結させるのではなく。

 

「他生物を生かすこと」

「他生物に与えること」、

その工夫と、さらにそれについて感謝する人間へと、

意識を変化させる時期ではないか、と思ったりする。

与える側の存在になるというか。

それこそ驕った考えかもしれないが‥。

(生贄ということではなく。。。

 生活の目線で、植物や動物の生態・性質を観察し感受し生かす。

 生態系が崩壊している現代は、遅過ぎるとは思うけれど。)

 

地球から、たくさんの食べ物を頂いて来た

現 代 日本人も、これからは地球や他生物に、

恩返しする時代になるといいなぁ、と未来図を想う。