ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

油  10…(1)

この記事をブログに載せるか迷い
しばらく更新できず。
(またもや同じようなことだが、
 長文でダラダラ書いてしまったから数回に分けて掲載)
 

 

しつこいヨゴレは…の、古い洗剤CMキャッチコピーではないが、
油に関して、もうチョイと…記そうッと。
石油についての雑感だ。


 
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石油が無かったら、科学技術の発展は無かった、
便利な現 代社会が築けなかった。
その恩恵は…、みたいな話は、闇のご都合を知る程に、
嘘っぱちだったんだろうなぁ、と常々思う。

 

「日本に資源がない=石油がない…」という、
文言・言説も、狂育やマス ゴミで刷込まれた訳で。

第二 次世界大戦 時の経済封 鎖は、西洋化へ邁進する
日本に於いて 致命的だったのだろう。
石油が(‘通常ルート’では)輸入できなくなった、
開戦のひとつの動機の上塗りに、敗戦後の自 虐的な世論誘導、
「日本に資源がない」という喧伝が成立った、と言える。

 

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 毎度子どもの頃の記憶のことで稚拙な発言だが。
戦後30年頃の学校や社会で、大人たちが言う常識としての
「日本に資源がない=石油がない…」という文言を
聞くにつけ、ワタシは疑問だった。
大昔から人は石油を使わなくても生きて来たのに…、と思っていた。

 
自動車等の動力や発電のエネルギーをはじめ、
ポリバケツや洗面器、ビニル袋やら化繊の服、家電、食品包装、
洗剤、日用雑貨品、建物資材、あらゆる設備、
食品、薬品に至るまで…。

生活全体をとりまく石油由来や依存の製品等で、
いつの間にか皆が当たり前に
湯水の如く、利用するようになったけれども。

 

身の回りにどんどん増えていく、
石油由来の化学物質のカタマリは、
子どもの肌感覚として奇妙に感じられた。

 

木でできた桶やおもちゃ、衣類、特に絹製品、
木造の建物など、生活から次第に「素材」「本物さ」が
失われていく中で、天然素材への憧れは、
より強くなっていった記憶がある。
人工技術で加工され過ぎた石油製品・工業製品はワタシにとって、
今でも、偽物・仮物・陳腐という印象は、決して拭えない。

 

天然素材を日用品や建築・インテリアに取入れた生活風景。
旅行で大 自然を満喫という体験。
あるいはそれらのイメージ、画像映像、その情報や雑誌等で、
昨今の日本人の多くが惹かれたり興味を持つのも、
深層心理では、自然さを望んでいるからに違いない。

身近な風景、生活から自然や生物が排除され続けている。
カネをかけた消費生活、非日常空間にカネを使い足を運ばなければ、
大勢の人が豊かな自然環境を味わえなくなった、
触れることができなくなったのは、
支配層のカネを巡らせ続けたいがための戦略とも言える。

日本人はマス コミや教育の喧伝文言に
そそのかされ、西洋礼賛の汚染脳状態となった。
皮肉にも青い鳥の話が思い浮かぶ。
特別さ、便利さやハレばかりを有難がる。
幻想の愛や夢、妄想の幸福や成功、偽善、キレイ事を前向きと言う。
見えること、好結果、収穫、利益…、
自分以外の評価基準にアイデン ティティを見出し、
見られることに執着するようになってしまった。

物質偏重ゆえ他者との比較の中で、それらを追い求め続ける。

西 洋的思考習慣の、見せること見られることばかりに
気を取られてしまう日本人が増えたと思う。
現 代日本人が、西洋礼賛になっている所以は
カネと物質が牽引している。逆も然り。

 

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戦前までは、都市でも自然の美しさはあった、と
親や祖父母世代から聞いている。

 

第二 次世界大 戦の激しい空襲で、焦土と化した都市部では、在 日系の人達が
終 戦直後どさくさに紛れ無断で土地を収奪していったことが、
戦後以降、凄まじい都市化に向わせたことを
最近読んだ本に少々書かれており、合点がいった。

いつの時代も、主に戦乱がきっかけで移民になってしまう人たちがいる。
移民者は命を守るのと引換えに、縁のない土地へ移り、
経済苦や、よそ者扱いの差別的苦労は、
移民先の国や国民に対し複雑な心理をもたらす。

移民者は、人生に対し覚悟や反骨精神を旨に社会的成功者に登り詰めても、
その多くは、経済苦がバネになるが故の、カネ権威権力の亡者と化す。

やがては偽ユダに取り込まれる。アイデン ティティの曖昧さゆえか、
母国 愛とは逆の、利己的な事業・支配的な役職、工作的な要員などで、
旅の恥はかき捨てよろしく、日本のみならず社会全体が、
荒れる要因のひとつとなってきた、とワタシは観察する。


(ちなみに白 人社会の移民・亡命者が一旗揚げた美談・偉人伝は多い。
 日本に於いて広く知れ渡った人物は、ほとんどアユケ ナージュではないカナ…。
 それもマスコミや教育で刷込む偽ユダイメー ジ戦略のひとつ、と思う。)


中世・大航海の時代を主な発端として、
長年に渡り、欧 州偽ユダ支 配層が世界で最も多くの移民(主に有 色人種)を
発生させる原因、戦乱や奴隷売買や資源収奪を繰返して来た。

日本に於いても在 日系を始め、戦乱や経済貧困の時代にも、移民の流 入出があった。
古代にも朝 鮮半島から日本への移民流 入はあったが、現 代の歴 史教育では、
ほとんど説明されることはない。
日本人=単ー民族という偽言説がまかり通っている。


現状の支配層(F 家・天 皇 家・偽ユ ダ)の教育やマス コミを利用した隠蔽、
・起源の 隠蔽(535年)
・宗教思想政治の根本を隠蔽(1549年〜約50年)
・政治・主権の隠 蔽(1868年)
・隠蔽しつつの日本破壊目的の欧 州US A勢による汚染脳(1945年)
を続ける。
ルーツを隠蔽するために、

内外の脅し・駆引き・圧力(マ スゴミをフル活用しての)が、
日本社会を複雑に重苦しいものに、し続けている、と推察する。


倭 人を抹殺したい超太古の勢力(元 ユ ダ・逃避元地球人)の存在…。

 

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都市部の風景は、自然を切り捨て、マス ゴミが導引する、
情緒の無い、美意識皆無のカネの亡者が席巻する、
ギラギラのカネ儲け広 告の空間に成り下がった。
生活の便利さとインフラ投資バラマキ経済という、
プ ロパガン ダも、国民の血 税で日本の都市部の風景を地に落としていった。
身近な風景、特に都市部は殺伐とした景色へ変貌し、大気の汚染、
汚れた水環境へと悪化したのだ。

都市の凄まじい消費 消耗・摩耗 マ痺の生活を冷静に観ると、
それが、人間全体の心身の成長・成熟、精神衛生に、

すべての生物に、命に、地球に、如何に残念無念なことか…。

 


美しい水辺にしか暮らせない魚や虫(たとえば鮎や蛍…)を
大都市地域の河川でもいた時代があったことを
今の高齢者しか知らないのは、とても哀しい。
いずれ、その記憶も消えてしまう現状なのだ。

 

 

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お金や石 油よりも、

美しい水、自然の豊かさの方がよほど大切なのに…。

 

親の世代まで泳げていたと聞く川が、石油による経済発展で、
工場や家庭の排水汚染を促し、私の世代では既に身近な川では
泳げなくなったどころか、危険な水、悪臭を放つ川になっていたことが、
心底、嘆かわしかった。

元来あった日本の水の豊かさ美しさを
大人は、なぜ軽んじて、工業排 水などで、
川や海を汚し続けるのだろうか…と。

 


石油が採掘できない=資源がない…は、
ホントかな?!何だか胡散臭い言葉だな…、と
小学生頃から、ずっとずっと頭の片隅で思っていた。

便利さ・効率・合理性・営利目的・利益追求、
損得勘定の代償は、生命にとって負の循環を作る。

輸 入石油をふんだんに使う社会に移行するにしたがい、
貨幣が絶対条件、必要不可欠となった。
営利目的・利潤追求は地球・生物・人体…
全てを犠牲にしてでも、是とする価値観へと
日本社会は変貌してしまった。

 

それは肉体や知恵・直感をますます使わなくさせ、
便利という言葉にかこつけて現 代日本人の大半は、
いっそう怠惰になっている。
欲望と気力が拮抗し、脳を酷使し
精神が枯れかかったような
病的な怠惰さのようにも感じる。

 

昔の日本人が持っていた知恵深さ、献身、眼力、
自然に対する感性や感情の温かさ濃やかさを
明らかに失っている。

結果、自然の破壊 … 人体の劣化 … 精神の退化 を招いている。
異常な事態に気付いて、取り戻そうとする動きもあろうか。
それもひとつの、二極 化に見て取れるのかもしれない、と思う。