ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

油  8

仲俊二郎著「この国は俺が守る〜田中角栄アメリカに屈せず」より
262頁〜270頁(原文転載)

 

 話は逮捕時に戻る。田中と同じ27日には田中の前秘書官、榎本敏夫も逮捕されていた。榎本も同様に容疑を否定していたのだが、その翌日、取り調べ検事のトリックにだまされて、心ならずも5億円の授受を認めるのだ。28日も検事は否認し続ける榎本をなりふり構わず強引に責め立てた。が途中でふいと取調室を出た。今度、戻ってきたとき、新聞を手にしている。いきなり「田中受領を認める」という大見出しが目に飛び込んだ。咄嗟に榎本はドキーン(榎本の表現)とした。検事に「見ろ」と言われたわけではないが、大きな横見出しは自然と目に入る。検事はさらに左手に記事の切り抜きを持ち、「おっ、こっちにもお前の経歴が出ているぞ」と言って、両方を見比べるように眺め、再び尋問に戻った。榎本はここで大きな勘違いをする。田中の致命傷となる勘違いなのである。(オヤジは認めたのかなぁ)
 党に対する献金があったかもしれないと、ふと思った。党の名を傷つけてはいけないと判断し、オヤジがそれをかぶったのかもと、勝手に誤解をした。そして検事から、
「笠原さん(目白邸の運転手)も丸紅の伊藤さんや松岡さんも、みんな認めているよ。
お前が最後なんだ」とダメ押しをされ、榎本は田中の5億円授受を認めたのだった。ただそれがロッキードにつながるカネという認識はまるでなかったし、検事もロッキードという言葉は一度も口にしていなかった。だが新聞紙上やその後の調書では「榎本白状する」というふうに一直線にロッキードに結び付けられてしまう。検察は巧妙にマスコミリークを細工していたのだった。結果的に榎本は検事のトリックにはめられた。
 だが一旦、白状した以上、田中にとって、もはや取り返しはつかない。「やはり田中はクロだ」そんな印象が国民の頭に刻印された。
 後で分かったことだが、検事がもっていたのはサンケイ新聞だった。サブタイトルに
「地検、賄賂実証に全力」とか「近く高官逮捕第二弾」などと、刺激的な文字が踊っている。朝日新聞東京新聞もこの日、同様に報じていた。
しかしこの間、田中は一貫して五億円授受を否定し、無実を主張し続けていたのである。大新聞の完全なる誤報であった。
 ではなぜ大マスコミがこんな根も葉もない報道をしたのか。それには信頼できる筋からの情報提供があったとしか考えられない。つまり、検察関係者からの意図的な情報リークである。有利な状況に導くための情報操作なのだ。証拠は無い、だからこそ検察はこんな姑息な手段を使い、榎本らから誤解した形の供述を引き出した。ここには検察とマスコミとの癒着の構造が垣間見える。信用が命のマスコミがこのような虚報を撒き散らし、逆に検察がそれを利用して、自白に迫る。こんな異常な操作が行われたのがロッキード事件なのだった。
 だが一旦、供述したら、もう検察の勝ちだ。後は脅しや嫌がらせなどのテクニックを総動員し、検察に有利な調書作成にひた走った。榎本自身、供述を二転三転させながら、伊藤専務の自宅で政治献金として五億円を受け取ったと言い、それをまた否定したりと曲折をたどる。いずれにせよ、田中弁護団は榎本には不審を抱いた。榎本と伊藤のあいだには弁護団にも分からない何か秘密の関係があるのではないか、と疑った。
というのも、田中本人が明確に授受を否定しているからだ。丸紅から五億円を受け取ったこともないし、五億円を受け取るという報告を榎本からもらったこともないと、一貫して否定した。そう主張する田中の鋭い目には、一点の迷いも曇りも見られなかった。
 関係者のお抱え運転手に対する取り調べも過酷だった。トリックと脅しが矢継ぎ早に繰り出され、密室のなかで心理的な絶望状態へと追い込まれた。返答を渋る彼らに、
「お前の子供や親戚は皆、品行方正かな。何だったら、洗ってみてもいいよ」
「このままじゃ、当分、あなたたちは帰れないな」などと凄みをきかせる。田中側の運転手、清水や笠原(取調べの翌日に自殺)、丸紅側の松尾からは、判断能力が希薄になるなか、家に帰りたい一心で、検事の誘導尋問に対し、「はい」とか「ええ」とか「そうです」と、迎合した投げやりな態度に変わっていった。
運転一筋に生きてきた実直な彼らにとって、検察の狡猾な爪から身をかわすのは到底、
不可能だった。それはいつの間にか検察が作り上げた一方的な調書に姿を変えるのである。まさに検事の作文調書なのだが、その拙速さのあまり、その後、裁判の過程で多くの矛盾点を露呈する。同様に丸紅の檜山調書も、勝るとも劣らない矛盾に満ちた作文調書であった。だが不思議なことに裁判所はその矛盾点に目をつぶった。検事の不当な権力行使について、もう一例示そう。
 木村喜助「田中角栄の真実」によると、検察は裁判で証人となった丸紅の松岡運転手ともう一人の某氏ら二人を自宅から強制的に連行し(令状なき逮捕)、八時間にも及ぶ取り調べをしたという。その先導は八月五日付け朝日新聞夕刊がかついだ。たぶん検察からの意図的リーク記事なのだろう。
 一面トップにこう出ていた。「田中側証人取調べ ロ事件偽証容疑で検察側 榎本アリバイを工作 運転手ら二人追及 五億円否定に反撃」夕刊を見た木村ら弁護団はすぐに検事総長に会い、抗議を申し込む。これに先立ち、特捜部は金銭授受を操作するにあたり、重大な初歩的ミスをおかしていた。榎本らが乗る専用車の動きを調べもせず、一方的な押しつけ捜査をしていたのである。ところが二人の運転手にアリバイを主張されて狼狽し、大慌てで逮捕というアリバイ崩しの大捜査に打って出たのが同日の早朝
劇だった。しかしいくら追求しても、偽証したという客観的証拠が出てこず、仕方なく夕方になって二人を解放したのである。木村は言う。
「本来公判になってからは、検察側と弁護側は対等の立場で黒白を争うべきものであり、検察に不利な証言をしたからといって権力を用い、証人を逮捕するなど言語道断である。このようなことをすれば、その後の証人は検察権力に萎縮して事実を語らなくなることは目に見えている。それを狙ったものと言われても仕方あるまい」
まさに以後の証人への無言の脅しに他ならない。姑息な手段を弄するものだ。
田中が小菅拘置所から仮釈放されたとき、第一声として、腹心の周囲の者たちに聞き捨てならない言葉を発している。
ユダヤにやられた。ユダヤには気をつけろ」
なぜ身に覚えがないのにこんな目に会わねばならないのか。拘置所で田中はじっくりと考えたのであろう。その結果として、自分が進めてきた資源外交に行き着いたはずだ。石油にせよウランにせよ、世界のエネルギー資源はほとんどユダヤ資本が牛耳っている。そしてそれを統括しているのがアメリカであり、さらにその黒幕が国務長官キッシンジャーなのだ。
そういう目で見ると、これまでのキッシンジャーの自分に対する言葉の背後に、一貫した意思のようなものが存在するのに気がついた。どれもこれもが意味をもって脳裏によみがえってくる。
なかでも忘れられないのが、1974年秋のフォード来日だ。
 随行したキッシンジャーの傲慢で強圧的な態度は、今だから分かるのだが、もはや彼の決心が固いものであることを示していた。あれほど屈辱的な外交会談はかつてなかった。そして、チャーチ委員会にはじまる今回のスピード逮捕。
(復讐なのか…)いや、復讐ではない。むしろ抹殺を狙っているのかもしれぬ。結果的にみれば、田中はことどとく彼にたてついてきた。この際、将来の再起の芽を潰そうとしたのではないか。
 田中はおぼろげながらも、自分の手が届かないところでの大きな作意を感じ、心のなかで身構えた。マスコミ世論の支持をバックに、三木は田中を叩きに叩き、独走を続ける。政府や与党にもいっさい相談はなかった。まるで独裁政権だ。三木が唱える風通しのいい民主政治はどこへ行ったか。三木を首相に据えた長老の椎名は心穏やかではない。「このままでは自民党の行く末が心配だ」思いつめた椎名は大平や福田と相談し、三木降ろしに動き出した。国会はロッキード一色で、経済政策はずっと放置されたままである。円高不況は深刻だ。その一方でロ事件は大疑獄の様相を見せ、財界の動揺は甚だしい。それに裁判で白黒がついたわけでもないのに、すっかり田中を有罪扱いにしている。「三木首相の姿勢が問題だ。まるで水を得た魚のように生き生きとしている。ほとんどこれを楽しむような気持ちさえ見られるではないか。同じ自民党の釜の飯を食べてきたというのに、一点の惻隠の情さえ見られない。トップリーダーとして、如何なものか」
 これに対し、三木も黙ってはいない。唯一最大の見方であるマスコミと連携し、一気に反撃に出た。大新聞が歩調を合わせ、いっせいに椎名らの動きを「ロッキード隠し」と痛烈に批判したのだ。
「理解できぬ自民の三木退陣要求」(読売新聞)、「おかしな三木退陣要求の動き」(毎日新聞)、「三木退陣論の虚構」(朝日新聞)などと、椎名批判の論調が洪水のように溢れ出た。マスコミの力は絶大だ。時の動きを抹殺する刃物を手にしている。勝負はついた。
椎名らの動きは一瞬にして押し潰されたのだった。元衆院議長の船田も心配のあまり、衆院両院議員総会で次のような演説をしている。「これほど長期にわたり、ロッキードで明け暮れている国は、先進工業国では日本だけです。同じチャーチ委員会で裏金の可能性を指摘されたイタリア、フランス、トルコなどは、国益を考えて、そこそこのところで調査を打ち切っています。私は事件解明の必要性は認めますし、三木内閣がやったことにも反対はしません。しかし日本人は目先のことにとらわれて、大局を見失うことがあります」外国では自国の法律に違反する嘱託尋問などには飛びつかなかったのである。しかし船田演説もまたマスコミに攻撃され、一瞬にしてかき消される。マスコミは徹底して三木の見方をした。
刃物の威力は遺憾なく発揮された。三木は巧みに生き延びた。しかし大衆の頭は「田中」イコール「金に汚い」イコール「自民党」と、連続した負のイメージで刻印された。三木一人だけが元気で、他の自民党員たちは皆、沈没である。見事なものだ。「一将功成りて万骨枯る」という諺があるが、三木はそれを地で行った。だがそんなことを屁とも思わないところが三木の特異な人間性なのか。
或いはバルカン政治家の真骨頂なのか。国民を率いるリーダーだとか、自民党を率いるリーダーだとかの意識はまるでなかった。サバイバルゲームの一瞬一瞬を生き残ることが自分の使命だと勘違いしていた。今や三木は怖い者なしである。しかしその強権的な世論政治が壊れる時が遂に来た。十二月五日、三木の手により任期満了の衆議院総選挙が行われ、自民党は惨敗する。国民からすっかり愛想をつかされていた。自民党員である三木一人で世論を操ったつもりが、自民党全体が操られていたのである。その結果、参議院と動揺に衆議院も保革伯仲となった。さすがの策士、三木も逃げおおせない。責任をとらざるを得なくなり、二日後の七日には退陣に追い込まれるのである。だがこの選挙で、刑事被告人の田中は新潟三区でトップ当選を果たし、地元民の強い信頼が続いているのを裏付けたのだった。
 三木のあとは福田が継ぎ、総裁に選ばれた。しかし田中の受難は続く。田中追及の振り付け師兼主演俳優だった三木が去っても、状況は変わらない。マスコミや検察、裁判所はがっちりとスクラムを組み、乱れるところはない。むしろ、ゴリ押しで一方的な裁判を進めていくのである。