ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

油  7

仲俊二郎著「この国は俺が守る〜田中角栄アメリカに屈せず」より
257頁〜260頁(部分抜粋と要約)

 

 なぜコーチャンは誰にでも分かる虚言証言をしたのだろうか。なぜ日本政府もマスコミも、評論家、識者らも無批判にそれを押し頂き、いっせいに田中抹殺に動いたのか。
なぜ正義の味方であるべき検察まで、最高裁と図って憲法違反となる嘱託尋問へ突っ走ったのか。大いなる謎を孕んだまま田中の逮捕へ突き進んだ。奇妙なことに、国民はそれが謎を孕んでいるとは思わなかった。「カネに汚い悪者」を退治する彼らに拍手喝采を送り続けた。世論というものはこういうものなのか。

 小佐野賢治全日空の若狭社長、大庭前社長、渡辺副社長、丸紅の檜山会長、松尾社長、大久保専務、伊藤専務、彼ら糾弾一色の国会証人喚問が続く。一方で、東京地検は警視庁と東京国税局と合同で、丸紅本社や児玉誉士夫の自宅を捜査した。外為法違反の疑いである。日本で日本人がアメリカのロ社から金の支払いを受けるには日本銀行の許可が必要であり、違反という名目である。この法律は存在しているが、為替管理が緩和される時勢の中で、現実に外為法違反で処罰することは行っていなかった。にも関わらず、形式的な違反を取上げ強制捜査であった。


 病気療養中の児玉が在宅で取り調べを受け、外為法違反で東京地検に起訴される。丸紅の檜山、大久保、伊藤も逮捕され、議院証言法違反や外為法違反、贈賄罪の共犯として起訴され全日空の檜山らも軒並み逮捕。地検は彼らから供述を引き出し、事件の構図をほぼ書ききる。その都度、情報リークを通じ、世論を導くのに余念がない。

 1976年7月27日早朝、田中は自宅で逮捕された。事前情報もなく、予想していなかった。だが、田中は取り乱したふうもなく、堂々としていた。毅然とした態度で検察の車に乗り込んだ。田中は直ちに自民党に離党届を出した。罪を認めたからではない。党に迷惑をかけたくなかったからだった。当初、外為法違反という別件逮捕であった。が、翌月16日に、主罪として受託収賄で起訴された。拘置所で田中は終始、姿勢を崩さず、容疑を否定し続けた。

 田中逮捕の準備は極秘のうちに進められた。検事総長の布施健は徹底した隠密作戦をしいた。数日前に三木首相と稲葉法相だけに伝えていた。当日(7/27)、電撃的に検事を田中の私邸へ向わせた。警視総監の土田国保にも連絡していない。逮捕時、青梅署で剣道の稽古をしていた土田は「俺はのけ者か!」と激怒し竹刀を床に叩き付けたという。検察の独走、暴走を物語る舞台裏があった。疑獄事件の捜査は、検察と警察の合同で進められるのが慣例であった。地検が中心人物を逮捕し、警視庁が周辺の被疑者たちを逮捕する。ところが、ロ事件は田中のみならず、被疑者も含め東京地検の逮捕者が14名に上り、警視庁の逮捕者は4名。捜査段階のみならず、被疑者逮捕もほとんどが検察の独壇場で事が進んだ。警視庁は単なる補助役に回され、無視され続ける。例えば、慣例の捜査資料は普通ならコピーも含め、二部作成し、検察と警察が一部ずつ持つ。だが、検察に届けられたアメリカ側のロ事件関連の膨大な捜査資料は、警察にはまったく書類が回ってこず、痺れを切らした土田警視総監は検察に異議申し立てをした。結果、二週間を過ぎようやく秘密資料が届いた。だが、肝心の重要部分が700頁もはずされて、事件の構図が読み取れなかったという。

 土田警視総監はロ事件について慎重な構えであった。その理由は、アメリカから突然やってきた事件であり鵜呑みにすることの危険性、だからこそこの種の事件捜査は常道としてじっくり内偵を積み重ねていくものである。が、まったくそれが為されないまま、性急に事件化していく捜査の稚拙さが解っていたからだ。このようにロッキード事件は最初から異様づくめであった。「検察・警察合同捜査」の看板の裏で、重要捜査については警察側の介入さえ拒否し、終始、検察だけの独断で進めた。慣例を無視した検察の異様な態度は、証拠固めより何かに追われるかのように、スピードだけを重視し猛進したのはなぜなのか。外国からなのか国内からなのか、何かの強力な指示があり、ターゲットの本命である田中角栄に一刻も早く辿り着くために作られた事件と考えても不思議ではない。田中逮捕の1ヶ月弱前6月30日、三木はプエルトリコサンファンサミット出席の帰路、ワシントンに立寄りフォード大統領と首脳会談をもつ。会談内容を明らかにしていないが概要が漏れた。経済問題と並び、ロッキード事件も重要課題として、両首脳はこの事件がP3Cへつながらせない、トライスター疑惑を進め田中逮捕までこぎつけることを確認したと、そんな情報が永田町に出回った。

 キッシンジャーは、「三木首相とロッキード事件について全般的な意見交換をした」と慎重な言い回しで肯定している。

 

(つづく)