ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

油  5

 

 

 

昭和51年2月に勃発したロッキード事件(ロ事件)。

当時も国会は法案立法の議論そっちのけで
ロッキード社(ロ社)からの賄賂疑惑で証人喚問が繰り返され、
その役割が破綻していた。
税金の無駄遣いするな〜と、子供なりに思った。
(まだ消費税もなく税金は払ってなかったが。笑)


小学生の頃の事だった。帰宅して夕方に近い時間、
TVをつけると毎日のように、国会中継で証人喚問が
行なわれていた記憶がある。
田中角栄氏の「記憶にございません」の応答は、
あの頃、冗談まじりで国民皆が無責任に
使っていただろうか。


マスゴミの影響からだろうが、
首相田中角栄氏に子供なりの関心があり、
事件前まで好感も持ってもいた。
事件後の様子に何事が起きたのか?と謎だらけであった。

この事件はきっと簡単な話でないだろうな…と、子供心に薄々感じてもいた。
長い間、国会で関係者らが事情説明できない理由が裏にあるのだろう、と。

 

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各国首脳と会談を重ね資源外交に力を注いできた田中氏だが、アメリカ側は

石油消費国同盟としての日本の立場を守るべく国務長官キッシンジャーから

強力な圧力がかかる。
それと平行するようにして、立花隆田中角栄研究」というレポートが

きっかけとなり、田中角栄金権政治のバッシングがマスコミで

盛り上がりをみせ始める。

就任直後の日中友好条約締結の功績、果敢な資源外交、

自民党エリート達が及び腰の資金集めを買って出ていた

田中氏の労も水の泡と化すようにして、

金権政治のイメージが、国民の不審感を募らせていった。

やがて田中内閣は失速していく。翌年(1975)7月の任期を待たずして、

1974年11月末に田中氏は自民党総裁を辞任。
12月三木内閣が発足し、ロ事件勃発は1年3ヶ月後のことであった。

 

 

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仲俊二郎著「この国は俺が守る…田中角栄アメリカに屈せず」

8章 〜ロッキード事件勃発〜

236頁〜237頁(原文を転載)


それが起こったのは、1976年2月4日のことである。場所はアメリカ上院多国籍企業小委員会(チャーチ委員会)だ。ロッキード社(ロ社)の海外不正支払いを追求していた公聴会で、突如、日本人の右翼の大物、児玉誉士夫の名前が飛び出した。同社の会計士が、

児玉がロ社の秘密代理人であったこと、そして新型旅客機トライスターの日本売り込みにあたり、30億円以上を支出し、そのうち21億円が児玉に渡った、と爆弾証言をしたのだ。続いて6日には、ロ社のコーチャン副会長が、これまた驚きの証言をする。田中角栄と刎頸(フンケイ)の友と揶揄されている小佐野賢治と、総合商社丸紅の檜山広社長、伊藤宏専務、大久保利春専務らを名指しし、丸紅を通して複数の日本政府高官に6億円の金を渡した、というのである。日本が国産化を決めていた次期対潜哨戒機(PXL)も、国産化が白紙還元されたという。


 日本は大騒ぎになった。マスコミも政界も、そして国民も、降って湧いたような爆弾にてんやわんやでロッキード 一色で塗りつぶされた。「政府高官とは一体、誰なのか」。小佐野賢治の名前が出た以上、その先にいるのは田中角栄ではないのか。田中が首相の時に、たぶんニクソンとのハワイ会談で、強引にロッキード社のトライスターに決める密約をしたに違いない。そんな疑惑の声が日本中に踊る。マスコミも叩きに叩いてきた田中の金権政治と結びつけ、「やっぱりそうだろう」と言わんばかりに、一方的に世論を盛り上げた。盛り上げたというより誘導したに等しい。
 海の向こうの民間人が話した内容を、まるで神のお告げのように神聖化し、何の警戒も批判もなく、大新聞が連日、全段ぶち抜きで煽りに煽る。評論家や有識者達も、政治浄化を訴え、それと対にある人間として、田中とトライスターを一直線に結びつけた。
 三木が田中を攻撃することで政権を維持したのと同様、新聞や週刊誌、テレビなどのマスメディアも、田中を批判することで売り上げを伸ばしてきた。
 煽れば煽るほど売れるのだから、笑いが止まらない。まるでオーケストラを思わせる田中批判の合唱だ。すさまじい一点攻撃の突風が吹き荒れた。

 

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238頁〜248頁 (以下要約)

 

2月9日、突然、久保防衛事務次官がPXLの国産化白紙還元を1972年10月9日の国防会議直前に、「当時の田中首相、後藤田官房副長官、相沢大蔵省主計局長の三者協議で決まった。防衛庁事務当局はその時まで知らされていない」、と田中を名指す発言をし、事態が更に紛糾する。これに対し、後藤田と相沢は直ちに抗議し、久保次官は発言を撤回するに至る。

 

2月11日東郷文彦駐米大使がワシントンに着任し国務副長官インガソルを訪ね、三木首相がロ事件の真相解明にかける熱意を説明し協力を求めた。西ドイツでも有力紙がロ事件を取上げ政府高官とは田中角栄氏と岸信介氏であると明言。どこでそんな資料を入手したのか不明。世界中で「田中は黒」というキャンペーンが張られつつあった。

 

社会党は2月12日調査団を訪米させ渦中の人物、コーチャンから「通産大臣時代の田中氏とYX計画のことで会ったことがある」という言葉を得る。(YXとは日本メーカー初開発航空機YS11の後継機開発計画。)通産省主導の計画で、担当大臣として田中が守備範囲で語るのに問題はない。が、コーチャンと会ったことがあるというだけで、田中は怪しいと烙印を押される。社会党調査団が得たものはロ事件とは無関係であるにも関わらず、意図的に利用された。


三木首相は事件解明はすべての政治課題に優先すると表明。16日衆議院予算委員会小佐野賢治全日空社長若狭得次が証人喚問。17日丸紅の檜山会長、松尾社長、大久保専務、伊藤専務らも喚問。23日本会議で政府高官含め一切の未公開資料を三木首相本人から、フォード大統領に書簡で要請すると発言。総理大臣を務めた人物の白黒を外国任せにする危うさと無責任さ、政治の問題としてこれを扱うことに、時の大蔵大臣の大平、幹事長の中曽根、椎名ら各氏、多くの議員たちは苦言を呈している。


資料を求める三木の親書に対しアメリカ側、国務長官キッシンジャーは即答せず「政府高官の氏名公表は相手国の安定をそこなう」と発言。が、アメリカ側はアピールとして良識的な対応と、日本側に貸しを作らせるかのようにして、一応の難色を示す。

 

日本の世論の後押しを受け、地検特捜部が検察官をアメリカへ派遣。キッシンジャーと交渉は難航するも、日本はマスコミがこぞって正義のために闘う検察、粘り強い特捜部として新聞雑誌TVで大いに盛り上げた。世論が沸騰したところで、アメリカ側からわずかな資料を苦労の末、入手。地検特捜部への国民の信頼が一気に高まった。資料は極秘扱いとされ、公表されなかったが賄賂を受け取った高官名らしき名前が記されていた。「TANAKA」という人物で、丸紅ルートによる5億円であり、何故か、その部分だけが、明るみに出されたのは、検察によるマスコミへの意図的な漏洩としか考えられない。何故なら、その資料内容を知っているのは、検察と内閣上層部だけだからである。


「TANAKA」の文字が即、新聞紙上に挙がり、国民が田中角栄を意識するよう意図的な報道がなされた。検察はアメリカ側と更なる協議を続け、いち資料だけではなく幅広い資料提供を得る話し合いがまとまり、司法取り決めが調印された。

 

賄賂を受け取った「TANAKA」という資料だけでは、田中角栄を立件するには不十分で、ロ社副会長コーチャンの尋問が必要となった。が、日本での尋問で賄賂を渡したと認めれば日本の法律が適用され贈賄罪で逮捕されるので、訪日要請を受入れる訳がない。

 

三木は検察と相談の結果、嘱託尋問という奇策を打つ。日本の検察の代わりに、
アメリカ連邦地裁が国内でコーチャンを召還し賄賂についての供述を依頼するという方法だ。が、キッシンジャー国務長官は「仮にコーチャンが贈賄の罪が明らかな証言をしても、彼を罰しないという刑事免責を保証してほしい。それも最高裁判所の保証でなければならない。であれば、証言記録を日本に引き渡してもよい」という条件付きであった。アメリカではしばしば利用される司法取引だが、日本の法律では憲法違反の要請。
総理大臣、検事総長も違法なことはできない。
アメリカ側はそれを承知のこと。更に三木と検察庁最高裁と交渉し、日本とアメリカの裁判官同士も連絡を取り合い、異例の「不起訴宣明書」を日本の最高裁が承認する。コーチャンの刑事免責を決議し、「検事総長宣明書に対する最高裁長官の保証書簡」という形の、最高裁お墨付きの、「不起訴宣明書」を出した。

 

「そのような供述は証拠にできないという有名な裁判判例がすでに
あった」にも関わらず。(田中側弁護士・木村氏著より)


「不起訴宣明書」を最高裁が承認するのに、13名の裁判官全員が賛成した。マスコミが追い風を作るようにして、法の番人であるはずの裁判所が「田中は有罪だ」と決めつけたような性急な対処であった。「不起訴宣明書」の違法性についての議論は、ほとんどなされなかったという。

 

その後、ロッキード裁判は最高裁まで行き、田中氏が死亡した1993年、最高裁は何と、刑事免責をした「不起訴宣明書」が違法だったと白状する。

 

コーチャンらの証言を有罪の証拠としてはならない、と決定したのである。違法の宣明書を出して、田中氏を有罪に導き死ぬまで裁判闘争をさせておきながら、被告が死んだ途端「あれは違法だった」としたのは、まるで田中氏の死を待っていたかの行動である。30数年過ぎた今も最高裁は「不起訴宣明書」を出した経緯を秘密にしたままである。当時、最高裁、検察、法務省は死守しなければならない隠し事があったであろう、と。

 

田中氏は死ぬまで無罪だ、冤罪だと叫び続けた。もし当時、最高裁の13名が、法の番人として義務を果たしていれば、「不起訴宣明書」は出さなかったであろう。嘱託尋問も行なわれず、有罪か無罪かは別として日本の法律に基づく裁判が進行したに違いない。ともかく、検事も裁判官も異常であった。地検特捜部の検事らは法律家としての枠を乗り越えた。頭から田中イコール悪という図式をこしらえ、それに沿って裁判官も嘱託尋問という違法性をチェックすべき基本的職務を怠り、違法な証拠に基づく裁判へと突っ走った。

 


新聞や雑誌にはロ社の裏金作りに動いたと思われる社名、人名の活字がマスコミで派手に踊っていた。その渦中、ロ社が支払ったとする領収書の一枚に「サトー」というサインがあったという。週刊誌のロ事件記事では、故佐藤栄作元首相、佐藤文生衆院議員、

佐藤孝行衆院議員、佐藤守良衆院議員、秘書の佐藤昭子をロ社が支払った領収書サインの候補者5人挙げている。

この頃「田中角栄研究」を発表しマスコミの寵児となった立花隆は、週刊誌に田中角栄の秘書・佐藤昭子が最有力候補だと書き立てた。田中が有罪であるという心証を国民に植え付けようとした。秘書の佐藤に田中氏は厳しく尋ねたが、事実無根であることを断言し、サインの筆跡鑑定を依頼する。結局、このサインは、ロ社が三文判を使って作成した偽領収書だと分かった。

ロ社が偽領収書を作ってきたという事実は何を物語るのか。一事が万事、コーチャン副会長の証言そのものに信憑性が欠けることになる。が、検察・裁判所・マスコミはそのことを不問に付した。

 

 


249〜250頁 (原文を転載)

そもそも、この事件は最初から不思議なことだらけなのである。先ず田中への
賄賂を暴露したチャーチ委員会からしてそうだ。ロ社の日本政界工作を記した
秘密の会計書類が、誤って上院のチャーチ委員会に送られてきたのだという。
それほどの重要書類が、間違ってこともあろうに国会へどうして送られてきたのか。
しかも封書の宛先が違うのも無視し、誤って開封してしまうのである。
すると秘密書類や領収書などがぎっしり入っていたというわけだ。
郵便の誤配達と誤開封という二つの偶然が重なり、それがきっかけとなって、
田中の疑惑へと一直線に突き進む。実に不自然な成り行きである。不自然というより、
何か背後に作為的なものを感じざるを得ない。故田中角栄を永遠に抹殺する強烈な
意図が匂ってならないのである。
それは綿密なスケジュールに沿っているかのような観さえした。先ず立花隆
田中批判の論文からはじまる。続いて外国人記者クラブが唐突に田中を悪者に
仕立て上げたインタビュー事件。その後、爆発的に国会やマスコミ、識者などに
よる田中式金権政治への非難が続く。そしてそれらが沸騰点に近づいたとき、
満を持したかのように突如、チャーチ委員会でTANAKAの賄賂疑惑を暴露した。

 

 (つづく)