ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。脱出!」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

 眠ってらんない…

 


幼い頃に疑問に思っていた事が、
大人になって分かったことを書き留めたく。

 


ワタシは、悪戯珍事件主犯に加え、何処ででも、

すぐ眠ってしまう夢遊病状態の幼児だった。(ちょっと盛ってる?・笑)

「この前も“こんなところ”(思いがけない所)で眠っていたよ。」と、
家族の笑い話に、事欠かなかったのを覚えている。


ところで、その頃、誰に買い与えたのか知らないが、
家に「眠れる森のβ女」の絵本があり、お気に入りでよく見ていた。
眠る事そのものが、好きとか嫌いとか特技!?…の
自身に気付く以前の無意識の年頃にしても、
物語の中で、国中の人々、生き物すべてが百年間も、
眠ってしまった!という光景に魅せられ、うっとり…。
ってな妄想は、居眠り童子の証か。
ワタシだけじゃないんだ〜みたいな?!
卑近な安心感もあってか。(笑)

 


(それにしても、昨今は物質環境の飽和状態極まってか、
生理現象についてまで、好き嫌い得て不得手という基準は何?ですかね。。。)

 

それはさておき。
家にあったそれは、いわゆるねずニー絵本だった。
輪郭線がはっきりし、単純で明解なイラストに惹かれたのもあった。

 

(惹かれてしまう理由もワタシの本性に由来するだろうかな…!?
あながち偽世界が嫌いでもないんだろう。

怖いもの見たさに加えて、輪郭線好きや女性特有の、深層心理の顕われだろう。

ある意味では役に立つなっ。)

 

で、
物語に加え、その幼児向けの劇画タッチな構図もかなりお気に入りだったと思う。
だが、幼心に頭の片隅で、ねずニーのお話に「眠れる森のβ女」があるのが
ぼんやりとだが、合点がいかなかった。

ねずニーはU.S.Aが発祥ということは承知していた。
当時建国200年と騒いでいた。
王国ではないというのに、王様やお姫様がいる国の
物語がU.S.A由来のねずニー絵本に
あるのはなぜだろうか?と。

更に、古の物語にしてはマンガみたいな絵で

変だな、とも感じていた。

 

 

大家族で大人の会話が多い家庭に育った私は、
耳年増のところがあって、幼稚園、小学低学年の頃から
社会について思いを馳せることがあった記憶。

が、さすがに侵略や革命やらの歴史的経緯なんぞ知らんから、
漠然とした疑問を持った訳である。

 

その絵本は好きではあるけれど、
物語そのものに「本物」とか「原作」「源流」という印象はなく、
「借り物」…偽物の、雰囲気も感じていた。

 

神話、民話や伝説の物語には、どこから発祥したのか、誰が生み出しのか。
出典は全てが明確でなくとも、歴史的な背景を感じられるから、
想像が豊かに膨らむのであって、ねずニー絵本の場合は、
歴史に裏打ちされた源流、本質が無いことを子どもなりに嗅ぎ取って
「偽物、借り物的」と感じていた気がする。
陶酔はできても、奥行きがない…という感じ。


当時のワタシには「リメイク」の概念はなかった。
ヨーロッパの民話が発祥で、グリム童話として「いばら姫」の更なる
リメイクであることは後年に理解したのだが、
本家ストーリーから、うまいこと作り替えてあることも後に知り、

愕然とし借り物の印象は一層、強くなった。

 

その絵本に出会ったのは幼稚園の頃だったから、

当時は、大人に自分の疑問を伝える言葉も見つからず、
ずっとぼんやり疑問が頭の片隅にあった。
おそらく、親に「是々然々で疑問だが、何故だ」と聞けば、
ヨーロッパのいばら姫という話をねずニーが、
絵本に作り‘変えた’んだよ、と説明してくれたかもしれない。
が、是々然々ができなかったのは、
今思えば、大事な要素だった気もする。

 

 

本物から流用した「おとぎ話」であるが、
出典、原点、源流を感じないよう‘閉ざす’「何か」。
刺激的で魅力的な演出、華やかさ、
溢れんばかりのサービス精神とエンターティナー性で、
核心を遠ざける「何か」。
借り物的な感じ、本物風なんだけど何かの違和感は、
無意識の中にはあるけれど、自覚ができないところを
巧みに商業利用されている感じが、大人になってやっと分かった。


結論から言えば、それは偽ユダ勢力の
民族性の破壊が目的であり、ピラミッド型社会の強化、
人類ルーツの壮大な改竄であり。

更にB層下部は切捨…B層上部ロボ化の末火星に引っ越し計画があろう。(追記) 

 

偽ユダの哀しき野望が、
有史以来(古代)、中世から現代社会にかけ、
その目的が、一般人の生活の細部にまで

ちりばめられているのだ、と…。

(この辺からは。。。
推察を書きたいのは山々だが、凡人のワタシには
確認しようもゴザイマセンガ、UFOにまで話が及ぶ
トンデモにナリマスノデ割愛シマス。)

 

 

幼心に、ねずニー絵本の借り物的空気を感じる物差しは、
ワタシにとっては要の基準であったようだ。

 

それは小学低学年の頃にも感じて印象に残っている記憶のこと。
親の用事で一緒についていった当時の郵便局や役所には、
商業的な空気とは違って、質素で素朴な建物や職員から

営利目的ではない信頼感を感じ取っていた。

こんな些細な場面のことだが、
共産圏崩壊になった‘させられた’ 訳を垣間みる気がする。 

 

〜(カネによるサービス(偽サービス)過剰の現代から見れば、

昔の公務員らの融通の利かなさ・無愛想さや怠慢さが、妙に懐かしい。

親方日の丸、税金を後ろ盾に威張ってはいたが、偽善ではなかったことを思う。

‘動物園’の生物らしさか。(苦笑) 

 

「サービス精神」は大切だが、カネを介在してのそれは、

労働側の偽善の笑顔と、消費側の不審感の無自覚ゆえ、

両者ともに精神が疲弊・荒廃する、偽サービス過剰の現代社会。

調教されてしまった欧州発祥サーカス動物の悲哀に似ている。<追記>

 

 

それとは対照的に、お客をカネの多寡で値踏みして態度が変わる、
究極の商業主義を漂わせる偽りの空気感に、全く信用ならない…のが、
銀行であり保険会社や証券会社への子どもなりの不審な印象だった。

民間金融企業の看板・建物を目にする度、

心の中でいつもブツクサ浮かんでくる言葉は、

「他人のフンドシ(カネ)で相撲(商売)とってさッ…。
市街の一等地を席巻している儲かり具合は一体何なんだ?」と。
「そんな会社の人間が威張っていられるとは…、
この世の中は逆さまだな…。」てなことを
子どもの頃、生意気にも思っていたのである。(今もって生意気さは健在ダ…。)

 


大企業活動の実態は、大衆のエネルギーを吸い上げ
紙幣に価値を保ち続けさせ、その産物、利益を闇勢力(国際金融資本家)へ
上納する仕組みがあることは、今となっては当然だろうことは分かる。

更に言えば、郵便局も国鉄電電公社も専売公社も道路公団も…
営利目的ではない互助的な国営機関で、
マネーの力では築くことができない、大衆からの信頼感や、
潤沢な税金の力で、国民側に向って育て上げ熟しきった、
母性社会日本の至高!?の賜物(精密に構築された日本独特の公の真心)

マスゴミの公務員や政治家の一過的で浅薄なスキャンダルバッシング’と

共に、偽ユダ勢力は、絶妙な時期に、

国民の民意・風潮・噂話をコントロールし大義よろしく、

国家権力の怠慢を盾に民営化と称し、、、

ちゃっかり大株主として横取りして、、、

こっそり国家体力を削ぎ落とし解体するという…。

(‘TVニュース新聞一面記事’の悪徳さに大概に気付や×。B層!と、

ぼやきたくなるゼッ。‘街のインタビュー’も肝心な発言はやらせですから。。。)

 

 


まあ、資本家万歳の油田論理が社会を長年掌握しているのだから、
もう、どうしようもない。
ヤツラにとっての本丸に突入した今日頃。
全貌が露になりつつある。

 

 


話はそれたが、ねずニーのメッセージは平和とか人類愛。

…に見えるが、実際は、ヒロイズム・選民志向、上昇志向、

二元論思考・勧善懲悪、優性思想と人種差別、
物欲などを網羅した、幼児への啓蒙であり、深刻だ…、と感じる。


2年程前に何故だか気になって、M☆ーズインク3を見たが、
コレが、子どもに向けての映画か?と思う

場面(じめじめしたイジメ)があって、
やっぱりおかしいな、と思った次第。
(深層は制作側の怯えの象徴とも取れるシーンだったが。)

 

ねずニーのように、スタンダードさ、本物を装っての究極の商業主義は、
幼児の柔らかい脳、幼児に蓄積されていく観念から、

真偽を嗅ぎ分ける心眼を攪乱させ、

生物の直感力を壊していく気がする。

 

 

多くの人が知っているから良い(のだろう)、
多くのところに映像や音楽があるから素晴らしい(のだろう)、
ずいぶん前から皆が知っているから信用できる(のだろう)、

施設が立派だ、大勢が働いている、大きいんだから安心(だろう)、
品質が良い、クオリティガ高イから云々、…本物(だろう)。
サービスが行き届いているから大丈夫…(だろう)。

 


が、すべてはカネ・消費ありきで、互いの信用が成立する。

それを信頼に値すると見せかけた偽理想と、

まっとうな精神性(自然のような無償さや主体性。生物の有様)とを

はき違えさせ、スタンダード、本物風に成りすましていく。

 


民営化されてしまった、JP、JR、NTT、JT…も、
同じ手法が末端に顕われている。

 

商業主義の極みは、本物風、体制側の(偽)善意と共に、
皆が、知っている言っているから、というコモンセンスが隠れ蓑だ。
大衆の根拠の無い「漠然とした偽の信頼感」が重要だ。

 


現代社会は、完全商業主義へ向っている過渡期。

ギブアンドテイクが大原則。
国家崩壊で人類単純化で偽ワンワールド化。

 

大衆は同じ物同じ事同じ思考で、
カネをめがけ努力を惜しまないテイク、

虚の価値を操るヤツラは自動操縦で即物的なギブ。

 

現在予測できる商業主義の果ては、
ブロックチェーンでありマイクロチップ…大衆白痴化、ロボット化。
全ては、ヒラケゴマよろしく、ボタン操作の虚の魔界

 


信頼と信用という言葉の違いをワタシなりに解釈すると、
信頼とは相手(人だけでなく生物全体)の本音を感じ取って、
委ねたり譲ったりの心の有り様、

想像力や主体性があってのことと思う。

元来、生物に具わっている心根。

 

信用とは、目に見える予測可能な範囲の
安全確保を互いができる…、という
「即物的」な人間社会に限定された契約を指している、と思う。

 

 

右肩上がりの競争社会、資本主義の限界の突破口として、
最近、流行の仮想通貨やらその先のブロックチェーンの構築は、
‘即物的な信用’を求めての近未来のビジョンであり、
頑なワタシはそれをまったく信頼しない。

 


カネを介さないと成り立たない、

ギブアンドテイク思考中心の現在の社会に、

延々と違和感がある。閉塞感がある。

即物的ではない意識へと向う、
未来の世界へワタシは思いを馳せる。

 

 

**********************

 


そろそろ、
資本主義、商業主義が、人間にとって借り物、偽物でしか

有り得ないことを自覚した方がいいのじゃないか、と

またまた生意気なことを思う。

 

 

カネを持っていない者には、人道も人権も無い拝金社会の暴走。
弱い存在を軽視、排他し、弱い存在はヒロイズムを

満たす為の惨めな道具と化す。

(日本では、カネが大量に流通するようになった、

明治維新以降、約150年前から同じ事を繰り返し、更に悪化している昨今。

そして最大の犠牲は、地球や人間以外の生物が負い続けている。

 

 

**************

 


欧州系団体が貧しい黒人やアジア人へ多大なる支援を通じ、
欧州系は立派、信頼できるという西洋礼賛イメージが刷込まれている。

およそ500年前、中世大航海時代に彼ら先祖は、
凄惨な略奪行為で破壊した、他の国々を今更に、欧州系中心の
国際人道支援団体がアピールかぃ、と。
欧州系は献身的ですごい…ね、みたいな…。

この風潮、どうなんだぃ?と。

 (で、実態は悪意支援なんだょ、、、)

 

 *********

 

本物は商業活動はいらない。
偽物は商業的にならざるを得ない。


いづれ飽きられるから。
忘れ去られるから。

嘘だから。

時間だけは正直だからこそ。

 

繰り返し繰り返し定期的に、宣伝する商品、

また文化や学術的な理論にしろ、人名にしろ、
あらゆる宣伝的要素でマスゴミから世の中に忘れ去られないように、

繰り返し、度々に流される情報は、偽物を本物のように思わせる、

見せかけるために飽くなき喧伝の努力が必要なのだと思う。

(情報や物理的な)大量さ、量や回数の威力で、

本物・本質を凌駕し、隠蔽する。

 


だからこそ、宣伝していない、

ダサいとか、地味なことやもの、

マイナーさや少量が、実は本物、本質だったり。

 


この世界には本物を見つける、

本質を嗅ぎ分ける内なるアンテナが要る。
汚染脳の海に浸かる99%の人類にとって、

それより他に、武器は見つからない。

 

が、その意識さえ破壊しようとする、

水道水にフッ素化合物混入で松果体破壊やら神経毒の甘味料、

遺伝子組替食品で腸を破壊し…。

現代生活の常識全てが汚染脳だ。

やれやれである。

 

 **************

 

ねずニーのブランドが様々な童話の
リメイクで、原作の真意やメッセージは、

かき消され、巧みに童話の趣旨を
優性学や「ピラミッド型」社会に。

血(偽)族的選民とその他、富者と貧者・勝者と敗者、

1%の選民VS競争社会を強固化する
プロパガンダに塗り替えられ、子どもたちへの混乱に
一役買い続けていることが、今ではわかる。

 

子どもの育っていく脳(特に三歳迄)に蓄積されていく

潜在意識(脳細胞幹線の草創期)に、

どのようなイメージを与えるかは、
親の心眼、真偽を嗅ぎ分ける能力・思慮深い判断に

かかっているとも言える。

 

 

現代日本社会でのねずニー世界観は根底で支配するヤツらの

優性学・選民思想を無意識に無防備に受入れさせる土壌を作っている。

繰り返される子ども達(特に母となるであろう女性の将来)の‘偽’夢の量産が、

起因していることだろう。

 

 ****************

 

 

百年眠る話には、かなり魅せられたが、あのネズみ氏を
一度もかわいいと思ったことがない。
子どもの頃、好きになろうとしたことさえあったが(何でだ?!)
全くぴんとくるものがなく、

訳の分からない努力は止めた。(当たり前だ…)

物語性がいっこうに見当たらず(コアなるお話がない)。

 

ミーハーのワタシなりに、

スヌーピーやフレックスは、形や雰囲気が美しく感じたり、

トムとジェリーのアニメは、

あっけらかんとした残酷さが強烈で面白く、

自然と惹かれたがなぁ。。。

 

 

 

1920年代。フレックスザキャットの

酷似のサブキャラクターをねずニースタジオは、
イラストと実写融合の斬新な技術でアニメに登場させヒット中に、
フレックスの作者の抗議で、

そのサブキャラを止めざるを得なかったそうだ。
その改訂版があのネズみ氏であることを知って、
なるほど、ワタシはフレックスの方が、
好きだった訳に納得。(自慢カヨ・・;)


今回、フレックスについてはネット情報を参考にさせて頂いた。
ずいぶん前に、古いねずニーアニメに、フレックスみたいなのが
登場するのに、キャラグッズ業界では、


なぜ、フィリックスは孤高の商品なのだろうか?

なぜ、Feリックスのグッズに年号が、

はっきり書かれているのだろうか?と。

フィリックスはネズみ氏のパクリなのだろうか?と、
思っていたら、逆だった。
Feリックスが本家ということで、やっと合点がいった。


そんな経緯で、ねずニーが‘著作権’命になる理由が、油田の
大切な信条である(数十)倍返しになることも分かった。
世の中、いろんなことがあるんだなぁ。。。

 

まあ、ねずニー家元のお国ではお子様ワールドとして扱われ、

大人達はあまり重視していないようだ。

ん十年前、本家ランドへ観光で訪れたことが あるが、静かなものだった。

ねずミ氏率いる大勢のファンタジーファンには、

失礼な文章表現ではあったが、結局、日本人消費はドル箱だ。

 

ともあれ日本(もともと平面的な表現の国だから)以外で、

子どものファンタジーやアニメーションの社会的地位を押し上げたのは、

ねずニーのマネジメントも貢献した面があるだろう。

やっぱ共存共栄なんだな…。

 

 

 

十数年前に、ラジオで聞いた話。
(記憶がぼんやりだったから、詳細は今回ネットで調べた。)
USAの法律では著作権期限が75年までとなってたが、
当時ねずニーの著作権が切れる直前に、

90年に延長する法案が可決されたという経緯を知った。
仕方ないよな…。

確かに大きな収入源だもんな…。

うるる〜泣ける茶番劇だ。

(民族性破壊や人類ルーツ改竄の為の…)