読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。脱出!」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

美的感覚を満足させるのには・・・

 

ヘアーインディアンのことについて

先述の抜粋から…。

 

(温かい文章を引用しても、ワタシの言葉は

 刺ばかりの多弁で恐縮…汗)

 

 

 

***************************

「子どもの文化人類学」原ひろ子著(晶文社) より

***************************

 31頁より

機械といったものがほとんどなく、道具も最小限の品で生産し、消費し、

楽しみ、美的感覚を満足させている彼らは、文字どおり、“からだ”そのものを

使って生活しているのですから、からだとつきあうすべてを心得ているのも

無理からぬことでしょう。

***************************

 

 

生活の道具を作ることが、すなわち美的感覚を満足させていると、

思えば、ごく当たり前の本質だけれども。

(偽)現代文明社会のワレワレはもう、忘れかけている。

 

草木生物その命を絶って、地上の自然から幾ばくか

頂戴する素材で、自身の知恵や技術を使い

無から有を生み出す。絶つ痛みを感じつつ、作る歓び。

美的感覚の発露は、元来、自然の普遍な造形への畏敬と、

自然の一部である身体感覚が生活で育まれる中での、

精神活動の結実…なのだろう。

 

 ******

 

(偽)現代文明社会を見ると、生活で体を使って

「痛みを内包した…作る」という仕事が、

他人任せとなり減っていく程に、

人間が堕落しているように思う。

知恵を失い阿呆になるのだなぁ、と。

 

人生から「創造」という、人が人である所以の

必須項目を排除させ、カネで調達・消費を促し、

便利の偽解決、快適の偽満足。

人間の精神が物化に向かっている気がする。

手仕事があった時代の、温かい日本の人柄、人の良さは、

どこかへ行ってしまった。

 

 ****** 

 

多国籍企業の運営する森林破壊後の巨大農場や地下採掘で、

過酷労働者によって産出された原料は、

工場のハイテク機器の動作を駆使し、

機械が数多の物品を大量に作ってくれ、

商社・流通を経て、いち個人は、

人工社会労働の奇々怪々”の苦悩の対価で得た

カネ”を払えば、何でもかんでも、手に入る。

みんなと同じ物が。

 

 

生活で身体・知恵をできるだけ使わず、

便利・快適を追う自然を排除する社会で、

本質の美的感覚・美意識…延いては良心は、育たない…。

選択の自由と称する、単なる組合わせに過ぎない。

コーディネートレベルで、作っているという錯覚。

ごく 一部の企業人間だけ頭脳労働を振り絞る。

 

ルーツやアイディンティの無い、根拠の無い、味も情緒もない、

軽薄で冷たいデザイン、造形。

花だ熊だ兎…、模様を配したデザイン、

絵本やアニメ、キャラクター、商品に自然物が登場し夢はくれても、

野生の熊や兎、野の花、造形が、表現者らに実感は無かろう。

直線前提の造作は、人工・工業的ご都合でしかない。

 

想像力を駆使しても、何か』…が、足りない。

(偽文明の消費経済で破壊している

自然をモチーフにする矛盾。目逸らしの汚染脳)

 

 

商品を手にした消費者が、

オシャレ、カワイイ、タノシイ、キレイ、カッコイイ、ウマイと

言っている対象もその反応も、

記号だ。

(実体のない虚のシンボル・作為の共有認識)

 

消費者の脳に「快感」(←洗脳研究のツボ)を

伴って記憶されたメディアからの偽原型イメージ(ネズミィー的戦略)が、

広告戦略でしつこく流布され、流行とさせる。

企業デザイナー・クリエーターらも、消費者も、

仮想記憶の反芻だ。(コピペ状態)

幻影のキャッチボール

 

 

虚栄ファッション、陳腐建築インテリア、捏造ドラマ、

粗雑日用品、偽工業食品…。

あっという間に、飽きて忘却、ゴミと化す。

 

  

経営戦略でブランド”化した、他者が本物と銘打った

(苦労話や美談がほんの少しだけある)物を

ブランド”と仰々しく演出し看板を掲げたがる。

鬱屈した優越感を味わうことを美と倒錯する、汚染脳。

生産者も消費者も、“ブランド”ごっこ・選民意識に、余念がなく。

そこに群がる、卑しき醜態。

 

 

 

企業人間が労働に心血注いでも利益追求の上は、

社会荒廃のベクトル。

コンピュータ波及も加勢し、カネありきの

偽現代文明社会に、本質の美は無かろう。

 

「自然との対話・身体の実感・生活の精神性」、

「心」「命」が宿っていない偽現代文明の“物”。

 

  

のイメージ操作や虚飾幻想レッテルの価値観。

特にブランド信奉者の西洋・欧州礼賛たるや、甚だしい。

明治から今日、自尊心を失った、いや失わされた現代日本人。

 

嘆かわしきは、陳腐な偽美的感覚(記号汚染脳)を

満足させるための生産物に

漏れなく、〜自然破壊〜付いてくる。

 

 

 

マスゴミや企業より、ネット影響だろう

個人の動向の変化が速くなり、

少し良い兆しも、ある気がしなくもない…。

 

ともあれ、 ヘアーインディアン彼らのように

カネの存在しなかった、対価の概念を必要としない、

美意識へ向かう社会を想像する。