ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

好奇心へのぎもん…の、おまけ

 

 

 

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このふたつの動画を並べるのは、かなり間違っている、、、

かも…しんない。

 

かたや才気あふれる方からの最先端科学技術の演説会。

知性を触発してくれる有難げな動画だ。

で、もう一方はユーチューバーのおふざけ動画。

 日本人の知性は地に落ちたな…感が否めない、という印象である。

 

 

が、おふざけ動画の批判、日本人の知性が地に落ちた感”を

伝えたくて並べた訳ではなく。。。

 

 

TED動画で数々の新たな知的好奇心を盛り上げる

演者の動画を見たことがある人もいると思う。たまに私も視聴する。

 

だが、このTEDという動向が新世界秩序NWOを目論む

集団の喧伝活動の一端であろうと予測でき、私は常々不気味に思っている。

 

確かにTEDには、なるほど…と思う演説も数多あるけれど。

人間が進歩発展するという目的が、

どこか一直線で短絡的で、TEDの演出そのものが欧州勢力の

自己顕示欲、自己愛の…自慰行為の強要にさえ映ってしまう。

 

まだ、この先、直線的に進むことを当たり前だと思っている、

思い込ませようとしている…。主催の視点や立ち位置が、

全く変容していない、できないことに、

ただ唖然、というのが正直な感想。

 

どこまでも人間のため、人間中心主義の技術進歩の礼賛だ。

決して、自然の一部としての人、自然界への畏怖や他生物への

思いやりや感謝についての意識の進化がテーマの演者は、

見当たらない。

 

科学の進歩発展の定義はあくまでも人間中心主義で、

その固定観念が、マスゴミの喧伝や狂育によって、

汚染脳が完了した無防備現代人の盲目を利用し、

更なる汚染脳(ロボット化)を企んでいるのだろうなぁ、と

想像してしまう。

 

 

さて、デカキンさんの動画である。半年くらい前に見た。

何と言う、アホな悪戯だろうか。相変わらず凡庸な私は、

腹を抱えて笑ってしまった。まったく、今どきの若いもんは…。

と、ありふれたぼやきが口を突いて出てきそうな…。

ネットが オモチャ化” している典型の内容である。

と、呆れつつも…ふと、

この動画から本質的なことに気付かされたような…

気がしなくもなく…なくぅ、ないぃ?!(気のせい?笑)

 というのは、日本人の独特な慎重さが、

この馬鹿馬鹿しい何気ない?罪の無い?いやアル?

悪ふざけから、垣間見えた気がする。

 

 

デカキンさんの安易な(違うイキモノ?!)女装で、

ツイキャストでコンタクトした18才の少年との会話。

デカキンさんは悪ふざけで、18才の少年に

女装がバレるか、バレないか実験したい。自分の姿を

画面に映し「見る?」と執拗に懇願するも、

先方の少年は、

「いや いい。」「いや いい。」(結構です)

「いやだ。」と問答する。

 

決してカメラの向こうのデカキンさんらの状況を知ろうとしない。

見るのを断る。18才少年の心理は慎重で、不気味さ不快なことを

予測した時、主体的に経験を避けたくなる生物の防衛本能が

そこにある、というように受け取れた。

 不愉快な経験が、時に影を落とす記憶になること、

他愛なく、虚しい行動(出会いサイトでの危険性)から

負の記憶や経験を作ってしまうだろう想像と、

罪悪感があっただろうか。

 馬鹿らしい動画では深く分析しても意味がないかもしれない。

しかし、時代が変わり教育も大きく変わってきている

若い世代の日本人にも慎重さが根源に

具わっていることを感じた次第。少々大げさか…。

 

仮に、欧米系男性ならあんなふうに拒むだろうか…と思ったり。

彼らの好奇心は日本人よりずっと旺盛で、恐いもの知らずで、

好奇心や冒険心で、恐怖心を突破する者を勇者として、

賞賛する。

女性の顔がどんなふうなのか、どんな記憶になろうが、

危険を冒しても好奇心を満たすことを善とする感覚。

ヒロイズムが付着して、好奇心が暴走し名誉欲にすり替わる。

 

YouTubeを視聴するこちら側は客観の立場である。

デカキンさんの好奇心と18才少年の恐怖心がせめぎ合って、

もし少年が画面の向こうにいる29才の違う生き物?!みたいな

女装の彼を見ることにした時、事の顛末が少年に証されたとしても、

それはそれで笑えただろうし。

恐怖心と好奇心を客観的に見た時、そこにドラマがあるんだなぁ、と。

 

 

好奇心を優先する時の「動機」が、

自己顕示欲なのか、命の源からなのか。

 

恐怖心が勝る時の「動機」が、

罪悪感からなのか、知恵なのか。

 

 

 

話は飛躍するが、環境破壊の根っこは自己顕示欲からの

好奇心の行き過ぎだろうな、と思ったりする。

 

好奇心を制御するはずの恐怖心を突破した時、

自己顕示欲が暴走し、自然を人間の都合に作り変える

ための、研究や生産を繰り返し、めぐりめぐって

世界中の自然破壊の発端という気がする。

 

禁忌や恐怖心を超えてしまう好奇心。

人工的な欧州人勢の自己顕示欲を重ね、

見えてしまうのである。(目には見えないが…)

 

 

上記にあるTEDの動画は、マクロやミクロ世界、

極一瞬や長時間の可視化を技術で実現した。

まつげやカタツムリの寄生虫の接写には驚いた。

梟の羽ばたく力強さ、トンボの羽の絶妙な動きが超スローで、

自然界の神業が可視できた気がする。

この先、分子原子の動きを映像化でき、

医療に応用できる、と確信を深めていた。

 分子原子レベルの微小機械で、遺伝子を修復する

未来の技術への展望か…。

 

意識がこの世界、三次元を生み出しているという。

脳が編み出した道具を使って肉体を変化させるのではなく、

人の意識を変えることの方がずっと合理的ではないか、と。

半ばあきれ顔で、このTED動画を視聴した。

 

野生植物は農薬や化学肥料を与えなくても、豊かに育つ。

人工環境であるほど、植物、生物は手を加えなくてはならない。

 

人為的に治療や修復すれば、更に問題が増えることは、

もうイヤというほど経験したはずなのに。

まだ、未だ同じ発想か、と。

 

つまり、見えることを追求し続けても堂々巡りで、

肉眼で素粒子が見えるよう、意識を変容させるのが、

生物としての人間の歩むべき進化、という気がする。

 

外的世界の科学技術の進歩を目指せば目指す程、

自然に犠牲を払わせて、問題を作り続けるのだろう。

 

この動画では人類の生き方、生命、宇宙の神秘への感動が、

ひとつのメッセージ、体のいい常套句だ。

 

人に具わっているはずの感じる力、

五感や第六感のような体感、内なる感動や創造力ではなく、

ごく一部の人間だけが磨き続ける技術進歩に、感心しただけであった。

彼らの、見る、見せるための物質的技術努力には敬服するが、

なぜだか虚しく感じてしまう。そこまでしたいのか…と。

 

 

ちなみに、温暖化の喧伝用に南極北極の氷が

崩れるシーンを繰り返す映像のように、

自然界の現象の映像をステレオタイプ的に、

多くの人間にイメージを刷込む不気味さもある。

 

 

見えない世界は必要な範囲に留め、心の眼で見えるまで、

見なくていいような気もする。

中世の欧州の人体解剖が発端か…。

 

保守的なことを言っているかもしれないが、

慎みというか、自制と自在のような…意識が

生物には不可欠と思うのだ

 

多様な感じる能力が肉体に具わってこそ、

いや、取り戻すことだとも思う。

 

 

世界的な権威の業界に、ちっぽけな意見を持っても仕方が無いけれども。

欧州人勢力、彼らの目指す進歩の方向性の意味がわからん。。。(苦笑)

 

 

科学技術進歩、カメラの超精度化によって、

寄生虫にまた寄生する微生物を微生物に寄生する微々生物…という

入れ子状態のミクロ世界を

映像として見ようとする、果てしない好奇心。

 

人工的彼らは、自身の好奇心がカメラで可視できるまで、

それを続けるつもりなのだろう。 ……か?

 

と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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