好奇心も恐怖心も出所は同じだ、とこの頃の私はそう思う。
恐怖心のメリットは、自制心慎ましさ知恵を育てる。
好奇心のメリットは、解放感逞しさ知性を養う。
育てる、養う、ことができる心理的成長、あるいは理性的な自在性は
自己の意識の枠を緩め広げ、より大きな
“ウチュウ的な融合へ”のファクターで、
あろうか。
(あはっ。。。ナニかっこつけてんの?!^^;)
現代社会の認識では、好奇心は◯。恐怖心は×。
…のような判断は案外…、否ひどく、短絡的なもので。
動物を植物を観察するとおそらく解るのは、
自制と自在を巧みに使い分けている。
人間界の意識についての認識は、未だ発展途上か、むしろ退化への道程で…。
好奇心(光の部分・宇宙空間では、ほんのわずかな現象・物理次元の比喩)
だけが、礼賛されている気がする。
それこそがイルミ的な“西洋礼賛病理”と、思う。
(“見る・見える”という能力、
更には“見せる・見られる”という我執の感情が、
果たして宇宙(意識)で、
どれほどの意味を持つのか???という問い、、、でもある。)
植物動物など…人間以外の、、、
命を観察し、心眼で見極めると、
重ねて言うが、きっと自制と自在が複雑に
絡み合って、この限り在る三次元での生を全うしているのだ、と…。
思われる。
もっと、自然をゆっくりじっくり丁寧に感じながら生きることが、
即ち、この地上で与えられた時間と空間…の生き様、
人の有り様だ…、と思われる。