ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

かくさん (その1)

 

 

ある場所で、たまたま偽ユダについて会話する機会があった。
相手の人は、「BSでヒットラーが600万人のユダヤ人を
迫害したドキュメンタリー番組を見た、ひどかったんだねー」と話されていた。
言ってよいか迷ったけれど思わず、
ヒットラーロスチャイルドの私生児らしいですよ」と私は切り出した。
ユダヤ人迫害も事実かどうか疑問視されていることや、ユダヤ人と呼称する人種は
アシュケ…とスファ…がいて、アシュケ…は偽ユダであること。
公社からの民営化は彼らの私有化であること、
マスゴミも偽ユダの支配下であることを矢継ぎ早に伝えた。
その人はその話題に戸惑っておられた。が、全く拒絶する様子でもなかったから、
その流れで、田中角栄の話になぜか飛んで、ロッキード事件も、
やらせで、当方なりに分析した経緯を話し出すと、

別の話題に変えようとされた。
確かに一気に話す内容ではないのだけれども、ふと気付いた。

 

当時のロッキード事件マスゴミで知っている多くの人は、
田中角栄について考える事自体に拒否反応があるのかもしれない、と。

 

マスゴミは偽スキャンダルでバッシングして、
ん国際金融家らに都合の悪い人物を標的にし、
TVで散々、イジワルそうな表情の映像や
人格イメージを徹底的に汚し切る。

ロッキード事件は、今やマスゴミ十八番の手法、

それは初期実験的な報道と当方は位置づけしている。

 そして正論を掲げ反骨精神旺盛な人物の政治家生命を奪ったり、

実際に暗殺する。

大衆心理のほとんどは、つまり

一度嫌いになった人物の印象を

好感に塗り替える事はまずできない。
したくないのである。

それは、食べ物に例えると分かりやすいだろうか。

 

また一見、マスゴミの事実関係の説明で大衆は論理的に

理解しているつもりだが、

実際に視聴する私たち自身の心象を見つめると、

映像の威力で感情が優先になっているのが、

映像メディアの恐ろしいところである。

(イギリスのタヴィストック人間関係研究所を筆頭に

各大学の研究で様々なメディア実験があろう)

 

更にそうした媒体は、間接的な体験のものだから、

余計に無責任な感情となり、

感情の野放し・TVに向かって悪口言いたい放題になる。

 

 

大衆が、こぞって嫌悪感を持った人物の転落人生や亡くなることは、
大衆心理の中で正義感が盛り上がる一方で、
貶められた人物への(ざまあみろ的な)卑近な優越感が

大衆それぞれの心理に発生する。

連日過剰垂れ流しマスゴミ報道で大衆はその話題に

食傷気味・膨満感を持つことになる。

それと同時に、大衆側自身ひとりひとりの

後ろめたさ、うっすらとした罪悪感を伴って、

事件一連のマスゴミ報道収束と共に、
以降、大衆は生理的拒否反応とも言うべき思考となり、

一切それに触れず考えたく無くなる。

 

事後に事実関係を分析する者が、一般人にほとんど居ないのは、

だからこそマスゴミにとって好都合である。

嫌悪感あるいは好感、その「感情」を操ることが

マスゴミには如何に重要か、という訳だ。

 

 

 

深層は、嫌悪感による共犯的自責の念を大衆に発生させるのが
「レッテルを貼る」ということである。
それは「目に見えない意識」(無意識)の行為だから

自己によって客観視するのは、非常に厄介なのだろう。

 


そんな大衆の深層心理を逆手に取って、

マスゴミの人物バッシングは繰り広げられ、
政治的に操られているのが、戦後から延々と続く映像メディアの

マスゴミによる大衆汚染脳だ。

 

元来、意識は水や空気のように透明であるはずが、

マスゴミの恣意的かつ無駄な情報による大衆の小さな罪悪感の集積で、

潜在意識、集合意識が曇り濁ってしまう。

そこに警鐘を鳴らしたいのが、当方の本意のひとつだ。

 

 


かなりのひねくれ者である当方、

自称へそが2.5回転くらい曲がっている。

集団から嫌われる者と好かれる者の観察をほぼ無意識にしてしまう。

 

その観察から集団心理を当方なりの客観(生物的行動)で、
役割という見方をしてみたり、長所短所を己の姿に照らし合わせてみたり、

あるいは人間同士の因果関係や、
好かれる人物と嫌われる人物の生立ちにまで想像を

膨らませてしまう癖もある。


そしてどちらかと言えば、

一般に嫌われる人物に興味が湧き観察の目を注いでしまう。
むしろそうした人物の方が、面白かったりもする。
嫌われ者を擁護する視点も持っていたい、とも思ったり。
観察癖のこの当方こそ、嫌われ者になってしまうわな。(笑)

 

 

マスゴミの大衆汚染脳の狙いとは別で、

せめてもの恩恵と思ぼしき事を

ひねり出し見方を変えれば、マスゴミ報道の経緯は、

真逆の視点、あるいは異なる角度で
物事を考える、本質を見抜く自己の訓練に役立つ、と言えるかもしれない。

トホホーー;
(そんなことしなくて済む報道を望むが、まったくもって無理だから)

 

ドラマや映画では、映像に登場した回数と時間が

最も多い人物に、鑑賞者側は好感を持つ結果になるという。
受け身での鑑賞・見るという行為は、

視覚聴覚の情報「量」で好感度を左右されるのだ。

(CMはそれを利用している顕著な例)

 


繰り返しになるが、人物の悪印象の映像をニュースで繰り返し見る事が、
大衆にとっての嫌悪感に比例してもいるだろう。


人物に限らず、ケイタイだのゲームだのその情報に触れる程に、
経験値が人生時間に呼応するから、好きな事になってしまう。

そうせざるを得ない心理が人間にあるのだ。


心理的メカニズムを知って、情報量も

自らコントロールすることが重要だ、と思う。

 

 

 

 

 

鬼塚正昭氏の遺稿で、佐藤慎一郎氏が出版にこぎ着けた
田中角栄こそが対中売国者である」(成甲書房・今年3月出版)
という書籍の内容は、当方の知らないことだった。
中国から300億円の資金提供を受けた田中角栄の裏話には
どのような経緯があったか…。まだ読んでいないから分からない。

が、概要と目次に目を通し分かる事は、

これも汚染脳用ではないか、と。


なぜなら書籍を紹介されているHPを見ると「東シナ海油田」についての
話が載っていない。

中国共産党が、ん国際金融家の腰巾着であることは
書かれているのだろうか…。