ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

人類はグロ…

 

 

 

人間とはグロテスクなものだ。
ひいて言えば、生物はすべてグロテスクだろう。

 

江戸時代を私が肯定したいと思うことのひとつは、
人間の生活という現実の中でのグロテスクさ・えぐさ(刳さ)と、
美や、清らかさ、潔さが、
時間の流れの中で有機的に万人に、

「調和し共存していただろう」と感じるからだ。

そして、鎖国政策で無駄な戦が省かれ

(長年の平和社会・偶発的なリーダーの出現)たお陰で。

生物として、人として、生活者として、社会全体が

賢かったと思うのだ。

 

 

猫を見ればだいたいの人間は可愛い、と思うだろう。
が、自分より小さな生き物をかぶりついて食を得たり、

いたぶって遊戯をする。
決して実態は、可愛いだけではない。
肉食動物は草食動物に比べて、

“見た目が可愛い”(思うに、自然界の実相)けれども、
生命を維持するために他者の流血をもってその命をつなぐ。

 

 


植物も毒を蓄え自らの生命を守る。
植物の種類によっては寄生したりする。

植物とて地表の縄張り攻防は同じだ。

攻防との言葉で相応しいかも解らない。


双方の生命のせめぎ合い、植物も動物も、

すべての生物に、他の事象・他者・他生物・

第三者が関与しての調和が在り、維持され保たれる。

だから食べ尽くしたり、全滅にはしない。

 

それを私は「自然循環」と感じている。

 

 

人類人種の発祥について、家人とずっとずっと論争があり、

わたしは辟易している。

 

人種の違いの発祥をK氏説(五色人)から聞き知って、
改めて、人間は「グロ」い側面、事実・歴史を

持つ生き物であることを思い知った。

 

その発祥の動機は悪意ではなかったことも、

ひとつの不思議さであるのだが…。


発祥からその結果が、現代の闇を作っていることを

どう捉えたら良いか…。

何の立場も無い私が考えたところでどうにもならないが、

常に、それが頭から離れない。

 

 

K氏説から知ったのは、 「五色人」と言われる存在は、

人類祖先の所業で遺伝子組替だ、という。

その動機は地球の気候変動であり、農耕を担うがための始まりだった、と。

 


現代に、遺伝子組替植物がツクられた。

後世の地球に、その所業(植物が生物の始祖ゆえ)が

どれほどの爪痕を残すのかを思うと

暗澹たる気持ちになる。

 

利益や人口削減という人工的な策謀。

自然の流れではない…。

 


そして、現代日本人が嬉々として食す

遺伝子組替大豆やら遺伝子組替トウモロコシや

遺伝子組替ジャガイモやら、
綿、菜の花、花壇の植物…」あらゆる大量に消費する遺伝子組替植物は、

いずれ地球を破壊する生命になるのではないかと。

気持ちが悪くて仕方がない。

(現代の遺伝子組替・植物は “利己の策謀・悪意“

 

 

 

彼ら自身人工種それを承知しているのではないか、と想像する。

だからこそ優生種思想であり日本人削減や排除の戦略だろう、と。

欧州支配層・黒い貴族=利己主義・国際主義グローバル化

巨利益収奪・国際金融家の思惑。

隠蔽排除抹殺思考の欧州亜細亜金満家ら。

長年貴族家系には生活感情がない。

何の詩も無い。心に非ず。虚の世界

 

 

汚染脳された99%一般人の鏡像であろうか…???

 

 

 

 

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人種の違い、彼らの優生種思想、

その差別感・排斥感をどう捉えたら良いのだろうか、と。

 

単なる道徳倫理観や既存の周知されている

生物史(ダーウィン理論は偽言説と知らなかった頃)を

自分の知っている範囲の些細な知識で、

なぜだか、昔から私はその差別感”を考えあぐねていたのだが…。

 

その末に、
その説『人類の祖(倭人種とスファラディ種)による遺伝子組替が五色人

十数年前、氏の講演会で知り会った人から

口伝えで知った。

 

考えに考えた末に知った説。

それについて、少々のショックは受けたものの、
特別なことでもなく、

そんなこともあるかもしれないなぁ、という感覚であった。

 

 

人間・生物は、すべからく無意識に

エグい(刳い)ことをするもんだ、と。

 

 

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…で、家人とのその論争だ。


家人は博愛主義的思考(キリスト教的思考)だなぁと思う。

それがひとつの障壁ではないか、と。

「わざわざ、そんな説を持ち出して考える必要はない」という。

ふつう”に考えれば人類の発祥は遺伝子で説明できる」と。

 

 

だが、「わざわざ」と考える事自体が、
明治以降の日本人専用の汚染脳、

欧州人が押し付けてきた「キリスト教的”博愛」「偽の平等感」、

その欺瞞だと私は感じる。

そこを看破する必要性を思うし、

肉体という物質にこだわる唯物論な訳で、

それを超えなくては生物としての精神の平等、

あるいは、摂理の中にすでに公平さがあることに

気付けないのではないか、とも思う。

 

 

そして「ふつう」という罠にはまる社会。

誰が、「ふつう」を作っているのか、である。

 

(日本ではキリスト教という宗教の布教はある意味成功はしていないという。

つまり、キリスト教思想ではなく

日本人向けにカスタマイズされた“キリスト教「的」“思想だ。

簡単に言えば、闇と光を極端に分けて闇を無視・排除してしまう思考、倫理観。

幻想・概念でしかない愛や理想を求める人工的な発想。

自己顕示欲による物理的な完璧主義。それゆえの唯物観。

 

 

そこを自覚できない・させない、無意識・無自覚なのが

狂乱的とも言うべき現代日本人の西洋礼賛と金銭物質崇拝。

己の民族性を否定し自虐史を受入れてきたのも、原因のひとつ。

…学校やマスゴミが、常に間接的に整備し啓蒙ているのだ。

 

例えば明治期にはキリスト教系学校敷設、

日本神話に一切触れない戦後狂育。

(大昔に神話を捏造されちゃってたからかえってよかったみたいだケドね!笑)

世界史教科書には文明の筆頭に西洋が記され時代毎、他地域に比べやけに詳細だ。

それを不自然だとも感じないようにされている。

 

マスゴミ偽文化による偽善や人工概念の愛、偽言説、捏造事件事故、等々の流布。

民族思想へのバッシング。優生種思想の巧妙な汚染脳…。キリがない。)

 

 

 

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人類はグロテスク。

生命の維持・保存、それ自体がグロテスク。


三次元の事象は決してイメージの綺麗事ではないのを
日々の生命活動・生理的活動で万人は解っているはずだ。

うんこはクサイし、汚く感じてしまうし、セックスはえぐい。

 

が、それをグロい、汚いと感じる事も博愛の罠に
嵌まっているのだけれども。

 


生命とは、悲しみや苦しみ、脆さ醜くさ、

その切なさが融合して、美や歓喜へ昇華される詩。

 


そのような仕組みで成り立っていることを
私たちは、イヤと言うほど毎日のごはんで、排泄で、

生物の諸々の生活で…、

わかっているはずなのに…。

 


トイレ掃除、赤ちゃんや老人のオムツを替える、
排水口を掃除する。

醜から目を背けたって社会の誰かが

請け負ってくれている、

下水処理場の整備、ゴミ収集、動物屠殺…。

 

自然災害、老い、病、死。

植物・動物・生物の命を奪って、己の命を維持する食事…。

 


こまごまとした汚物、忌まわしい事柄、残酷な作業。

美と醜は同居している、それが「今」であり、生活だ。

 

 

人間の意識を
「綺麗と汚染・快楽と恐怖・博愛と残虐」に乖離させ、

別物のようにし、目を逸らし続けている

現代の政治・経済・宗教や狂育…マスゴミのイメージ喧伝。

 

潔癖性に拍車をかける衛生観念の喧伝。

食物連鎖を無視し人間の食性を隠蔽する「食の汚染脳」。

経済最優先&肉食礼賛で、人口削減を実施中。

将来の生活不安や自然災害を騒ぎ「今」を忘却させる金銭物質崇拝。

強引な医療救命。医療イメージアップパフォーマンスの臓器移植、

病気増殖の献血やワクチンの闇、その偽善と脳死肯定の矛盾。

実態は人口削減目的の偽医療と偽生命観。

 

短絡的な狂育価値観で、優秀、強者、善人、

人工概念でしかない愛を求める、完璧主義の蔓延。

 

 

偽狂育(インチキ学説啓蒙)、偽宗狂、

噂流布屋マスゴミの偽世界観のプロパガンダ。

 


現代社会は、生物の本質を忘却させんとしている。

万人が心に嘘をつかなければならない偽善世界。

 


三次元の実態・実状・事実を無視している。

目を背けることの無責任さ、能天気さが

闇・病み” を極端に深くしている。