ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。脱出!」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

スーパー小袋から……。

先日、たまたま巨大某ショッピングモールの食品売り場で
少々買い物をし支払いを終え、レジ横の台で鞄に品物を入れている隣に、
ひと回り位年上の女性が来て、買った食品を買物袋に詰め始めるやいなや、
明らかに購入量よりも多いだろう、台の据付ビニル小袋を
トイレットペーパーよろしく、ぐるぐるぐる〜っと引っ張っておられ、
ご自分の買物袋に仕舞われた。
時々、お見かけするそうした行動タイプの方であった。

お節介承知でひとこと苦言を呈すべきか、
いや、年上の方に失礼だ。
そう、生活もお互いに大変な時代だ。
こういった行動に至る何かご事情が、あるやも知れぬ。
せめて、その小袋が役立つ使い方になることを心で願うか、と。

ともかく、どうでも良いような些細なことである。


レジ横のその場をつつがなく立ち去ろうとした時、
おばさん気質の例に漏れないワタシは、
お姿をつい見してしまって、その女性が
Vトンのバックをお持ちでいらっしゃったのが、
印象的であった。

 

街では、欧州系車や国産高級車にお乗りになっている
運転手の方は概ね、運転が乱暴な気がする。あるいは、
明らかに道路事情を混乱させるような場所に、まま
お車をお止めになる。

更に疑問なのは、お巡りさんが、

高級なお車らに対して駐車禁止やスピード違反だ、として

対応しているのを見た事がない。

変だよなぁ…、と。

 

前回記したことで、他者、対象を咎めては己の心が不自由に
なってしまう…。同じ穴の狢に…、と分かってはいるものの…、

色眼鏡で、恐縮ではあるが…、
なぜか符合するのは、高価な物をご使用の方の多くは、
公共の場や、他者の物や空間と、私物の垣根が低いのか、と。
あ、税金を一杯お支払いになっているからか…なぁ。

率直に言えば、公私混同か、わりと道徳感に疎い方が多い印象を受ける。
もう少し踏み込んで言えば、虚栄心や自己顕示欲をくすぐる

高級な物や事柄などを嗜好される方は、他者や対象への思いやり、

配慮はさておきのタイプなのではないかな、と。

お上品に、上等に、格好よく、綺麗に、お洒落に、見せようにする行為と、

品性は逆だなぁ、と常々思う。
子どもの頃から変わらず、そう感じている。

おばさん的ワタシの嫉妬かぃ?!とも考えたが、
前述した事例と照合すると…、さもありなん。

 

話は飛ぶが、欧州文化では「競馬場」が、かなりのお洒落をして
繰り出す貴族の社交場だとか。

日本を思えば、競馬場を始め、パチンコ、競輪競艇…、
あらゆる賭博場に於いて決して清々しくはない、
どちらかと言えば荒んだ感じをあるいは、
虚飾の雰囲気を感じる人も少なからずいるだろう。


色眼鏡で恐縮ではあるが…、
これを民度の違いと思うのは、当方だけだろうか?!

はっきり言ってしまおう。
日本人はその昔、素朴でまともだったから、
賭博場などカネが多く動く場、欲得がうごめく場所が、
荒れた空気になるのは、当然のことで、自然の成り行き、と思うのである。

清貧とは逆の、西洋文化の影響と思える、

金銭物質礼賛(心がお留守気味)である事を
現代日本に於いて、それを証してしまっているのではないか…と。
つまり競馬場が社交場っていうのは、かなり欲得勝負に免疫がある人間というか、
損得勘定金銭欲が満たされることを存分に楽しめるのは…、
そのスジの集団に類似しているな、と。

 

毎度、しつこく書く内容だけれども。
明治以降、どんなに欧州からの刺激や影響を受け、
技術が精鋭、発達しようが、目的が利己利益の勝負、競争、
虚栄・虚勢、虚飾の「欧州発」の文化文明に、
当方は明るい未来を感じない、もう限界だと思ってしまう。

 

幕末迄の日本人は、身分に関係なく
季節ごとに美しい自然の風景を楽しむ行楽や句会を、
人生の中で大いに楽しんでいたという。
ほどほどに働いて、趣味や遊ぶ時間を充分持っていたそうだ。
個性的なお洒落、美意識があった。植物動物をいとおしんで暮らしていた。
鎖国ゆえに質素でも、知恵を使った暮らしぶりは、
豊かで美しかったことが窺える。
金銭物質礼賛が育たない環境だったという言い方もできるだろうか。

江戸時代半ばから幕末にかけて、藩政によって差はあったものの、
お米の生産は充分でむしろ余剰しており、食糧に困ってもいない、
皆、幸福感に満ちた表情で、丸々とした姿だったという。

一揆が一番多かったのも実は、西洋礼賛・軍事国家へと
変貌した明治以降だと聞いた。
その頃はもう暴動と呼ぶのだろうか…。

江戸時代を貧しかった、とほとんどの人間が思い込んでいるのは、
明治期の実態と江戸時代の事実を映画やドラマ等の映像や文章でイメージを
マスごみや偽教育が、意図的にすり替えてきたからだろう。

そして、かつての日本は人が近づいても野鳥も逃げない、
鳥たちの楽園だった、と「逝きし世の面影」(渡辺京二氏著)に
綴られていたのは、特に心に残っている。

幕末までの日本人は、知恵深く優しく、
賢かったことを改めて思う。

俯瞰して大雑把に言えば、西洋からの支配の影響を受けるまでは、
東洋をはじめ南北アメリカ大陸、オセアニア、アフリカ等々…欧州以外の

地域の人々は、自然に、生物に、地球に、…畏れを持ち敬い、

慎ましやかだったのだ。そして「中庸」思想があった。

それは生物として自然な感性としてだと思う。

 

余談だが、20年程前に、レイチェルカーソン著書を読んだ時、

当たり前のことが書いてあるだけで、

なぜそんなに有り難がって、名著だ、ベストセラーだ、と騒ぐのか?

日本人の私にとっては不可解だった。


昨今、西洋の進歩発展の価値観、優秀・勝者を果てしなく目指す、
高く、速く、多く、強く、大きく…という完璧主義が、

東洋にそして日本に、重苦しく充満してしまった。

中世以降、欧州勢はそれ以外のすべての大陸、多数の諸島、
アジア、もちろん日本も、奴隷と略奪の被害で悲惨な社会にしていった、
そのスジの集団より、もっと強烈な歴史を持つ欧州勢力の爪痕を
マスゴミ・偽教育で西洋礼賛汚染脳によって、
何食わぬ顔でかき消そうとしている。
むしろ、尊敬や憧憬を強要されている気さえする。私は身震いがする。


特に戦後から現代社会にかけて、過去歴史の事実・実態を
こっそり忘却させんばかりの必死のマスゴミ活動が見て取れる。
このようなことを書くこと自体がヒンシュクという風潮をも
巧みに作っている。
おぞまし過ぎる歴史を彼らは、さっさと封印したいのだろう。
なぜか、幼い頃から私は西洋文化や現代文明に
疑問や違和感が尽きなかった。
30代になって、欧州勢やイエズス会、国際金融家集団の正体を知り、
中世には何十万人もの日本人も、奴隷として世界中に売られていったことを知り得て、
江戸時代が鎖国に至ったのは、重大な経緯があったからか、と合点し、
多くの疑問や違和感が氷解した。

隠れ切支丹や宗教についての解釈も180度変わった。

今、西洋への憧憬や欧州の有名人を世界中で丁重に敬うような
盛んなプロパガンダの理由は、むしろ判りやすく滑稽に映る。

 

それにしても、最近のケイタイ電話のCM広告やその他広告、

昔の日本を描いたつもりの映像、画像は、
下品で暴力的でひど過ぎる。日本人を貶めたい悪意さえ感じる。
食や医に関して昔の日本が西洋からよき影響を受けたような
人気女優を起用した汚染脳用ドラマには呆れてしまう。

 

幕末迄の菜食が主で慎ましく美しく暮らした日本人から変わり果て、
まったく逆の肉食偽食加工食砂糖菓子浸けになった大多数の現代日本人は、
真偽を見極める眼力や感性は、すっかり劣化してしまった模様…。

 


暗いことばかりに目を向けていては気が滅入る。
浅ましく卑しいことを目にする事もあれば、
時には清々しいこともあるものだ。

2年程前のこと。町内の廃品回収に参加している時、
八十歳後半の女性が衣類の古布を丁寧に紐状にして
古紙をきちんと束ね、微笑みながら「お願いします」と
美しい状態で出された姿が忘れられない。
その方の使い終わった物への感謝の念を
感じずにはいられなかった。贅沢な住まいの方ではなかった。
品性はこうした方から漂い、敬う気持ちが
こちらも自然と湧いて、記憶に残っている。

 

 

それでも、「自分の欲望に正直なこと」も悪い事ではない、としよう。

できるだけ菜食をと気を付けているはずの自分が、半年程前に、
家人に誘われ入ったラーメン店で、ニンニクご自由にどうぞ、
というトッピングを二人で調子に乗ってたっぷり投入し、
ご機嫌で食べ終わり店を出る際、
店主はワレワレに「ありがとうございました。」と
言わなかった…、、、だののあまりにショボイこと(当たり前か…。)まで、
覚えている。(苦笑)
人間誰しも、浅ましく卑しく図々しい行動をして、
他人様の気分を損ねたり軽蔑されることはあるもんだ。あはは^^;。
ビニル小袋より、むしろ質がワルいわな…、と反省しつつ。


現代社会はそういう狂乱時代のサバイバルが
課題なのかいな…ぁ???
納得できなくとも。

 

 

広告まみれ喧伝だらけの現代日本。
まあ、できるだけ虚飾、虚栄に吊られ汚染脳された「偽の欲望」に流されず、
少しでも昔の事実を知って、真実を学び、凡人なりに
本当の「欲」とは何かを問い続けることにしよう。
それもきっと中庸だ。

日常の些細な出来事から、大層なことを思った次第。