ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

女性の社会進出の真相

 

 

20代末頃だったか。学生時代の友人の家へ
泊まりに行った時に話していたことをふと思い出す。
「私たちって絵を描き続けようと思っているのに…。
なぜだか、30歳頃になったら、
自分はスーツ着てハイヒール履いて、書類一杯入ったバッグ持って、
カッツカッツとビジネス街を歩いているはず…ダ?!みたいな
キャリアウーマンのイメージが頭に浮かんでくると思わない?!」って
言ったら、「ほんと、そうだよ~~~。
テレビのトレンディドラマの影響だぁ~。変だよね~!」
「キャリアウーマン?!そんな訳ない。
うちらが。アッハハ~~」と、笑っていた。

闇の権力のことを知り、色々調べているうちに、
数年程が経ちアー□ン・ルッソ氏の動画を知った。

参考までに(Youtubeより)

 

「ロックフェラーの友は、911を事前に予告した」 アーロン・ルッソ (1 of 2) - YouTube

「ロックフェラーの友は、911を事前に予告した」 アーロン・ルッソ (2 of 2) - YouTube


女性の社会進出を促すウーマン・リブ運動が起きたその背景に言及していた。
約50年程前までは世界中の女性たちの多くは子育てや家事、
食糧調達等が役割であった。それが、1960年代後半から1970年代初め頃、
男性と同権を主張し同じように金銭を稼ぎ、同じように社会地位を
獲得していくのが、これからの女性の生き方であるべきだ…、
というその男女平等の運動は、実は□ックFェラーらが支配戦略として
国連やマスコミを使ったプロパガンダであったのだ。
□ックFェラー財団が資金提供しテレビ新聞雑誌をフル活用し派手に
後押したという。
□ックFェラー某氏いわく
「女性も社会で賃金労働をすれば、課税徴収ができる。
更に、母親からできるだけ早く子供を乖離させたら、学校が家庭になる…。」

つまり、家庭崩壊、家族関係の脆弱化が大きな目的だった、
ということなのだ。社会の根幹を破壊する運動であること承知の上で行った
男女平等の喧伝活動。
マスコミに影響を受け易いミーハーで負けん気の強い高学歴女性は刺激され、
まんまとそれに引っ掛っていったのが「ウーマン・リブ」やらせ社会運動の
真相という訳だ。

アー□ンルッソ氏は、某氏の中に「邪悪を見た」と語っている。
正に、現代は猫も杓子も金銭や権威を目指し、家族との対話の時間、
人生の大切な時間の切売りをしながら、地球や体によろしくない物や事に
加勢をする労働や消費が人生の軸となってしまった。
賃金労働者が倍増したということは、
インフラや交通網整備への莫大な公共建設投資増で税金負担。
時間や労力節約とばかりに簡易な食品、時間短縮・簡便な生活を
好まれる社会に於いて、インスタントレトルト簡易薬味調味料肉食お惣菜
ペットボトル飲み物外食ファストフードコンビニ簡易衣料使い捨て雑貨…。

それらの工場生産、食品素材衛生のための添加物化学物質を
製造するための電力ガス水道…エネルギーの莫大な消費は
更に貨幣を必要とする。24時間、常に金銭を追う社会故の
無駄なエネルギー莫大消費である。ジャンク食や
自動車依存によって不健康に。医療保険増大、生命保険加入。
代理育児教育施設の増加、お金の流れが増加で金融関連の労働も倍増だ。
これを雇用増加、景気拡大と言えば聞こえが良いが、
企業の利益拡大はすなわち支配階級層の更なる富裕独占の為である。
現代は「トラブル」「プロブレム」がお金になるように仕組まれている。
女性の社会進出がデメリットばかりではなかったかもしれない。
しかし所詮、洗脳された思考で判断し最も重視すべき子育てが
軽んじられ、社会が闇の勢力主導(ロボット化)になって
いくことに気付くべきだろう。
洗脳によって各々自らの人生の問題を増やしているのが実態だと思う。

現代の女性は多忙による疲労、家族家庭育児の尊さを見失い、
複雑な苦悩や焦燥感、空虚感を常に抱える故に、
食生活荒廃、育児放棄、不健康不妊、家庭崩壊…、社会混乱、
そして次世代へ負の連鎖、負の遺産となる環境破壊へ繋がっている。
家事労働を舐めてはいけない。子育てから学び、
暮らしの中の創意工夫は無限だろう、と。
賃金労働とは違う「真心」が家族のまっとうな人生を育むのだと思う。


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すでに闇の支配を知りしばらく経った頃。
託児所で短期間だが仕事したことがあった。乳幼児を預かる保育の先輩職員が、
無造作に子供を「扱っている」様子を目にして多々疑問が沸く。
母親なら気使う些細な仕草も、他人が乳幼児と接すると、
仕事ゆえ「子供=商品(物?!)を扱う」という状態になる。
そこでは職員から子供に愛情を持って接している様子を
感じられなかった。幹部や職員が最も気使っていたのは母親の顔色であった。
施設は不要ではない。しかし、子供に対し日々の仕草が母と他人では違うのだ。
例えば子供の服の乱れが心地わるかろうに…と想像してさっと整える、
そんな無意識の手からの思いやりなのだ。
業務として大勢の子供に対し最低限の安全に集中する、
多忙な職員に、濃やかな愛情を求めることは当然無理であろう。
言わずもがな親ならではの思いやりの動機が心や感性を育てるのだと思う。

言語の対話が少ない無意識に大きく影響する3歳まで、できれば7歳頃まで、
親子共に愛情に満足できた時間を持ったか否かで、
互いの人生を左右するのではないか、と。
つまりは、人生に大きく影響する育児期の親子関係を軽視し、
女性の賃金労働を肯定する風潮が、社会混乱や人口削減の
政治的意図であることを考えれば、逆に乳幼児期がいかに
重要であるかということだと言える。

古い話題だが、1970年代頃大流行したUSAからの
スポック博士育児論の波及も当然、□ックFェラーらの
策謀であったと推測できる。
当時の日本人は、戦後を引きずり日本の精神性を
否定することが社会風潮、マスコミの喧伝活動で
あった。スポック博士育児論は日本人女性の大半は違和感を
持ったにも関わらず、戦争に負けたのは
日本人が劣っているから。USAは何でも先端だ。
子育てさえも間違っていた、これからの時代は…という
焦燥感と短絡的な反省によって、お粗末な育児論

(「泣く子供を抱くと抱き癖がつく」だとか、

「乳児の頃から別室で寝かせると自立した子供になる」とか、)、

ゾッとするような偽・育児論である。そんなものを
受け入れてしまった女性も多いと思われる。

いかに、偽理論や偽思想がマスコミで波及させているか…。

もし、ウーマンリブ運動という権力に都合の良い口実と
マスコミの魂胆を見抜き、情報に流されず、祖母、母、娘…へと
日々の心の行き届いた暮らしが受け継がれ、
慎ましく丁寧に生きることを皆が実行していたら…。
家事を日々工夫すれば、質素でも心身を満たす生活になるだろう。
修理等で衣類や日用品、雑貨の扱いもお金で解決することを減らせるだろう。
結果的に知恵や工夫、勘が磨かれる。「もったいない」という
一過的なことではなく、物への愛情や研究心が育つ。
市民が日々の暮らしに賢者であれば、マスコミや行政が作為的に
喧伝してきたウーマンリブはもちろん、多くの偽情報、風潮…
最近では格差社会、セレブ等という卑しい言葉に、振り回されはしない。
物価上昇に煽られず、不動産購入も安価だったかもしれない。
都市過密化、地方過疎化、環境もここまで疲弊しなかっただろう。

社会改善の鍵は、できる限り女性が賃金労働や宗教活動や
安易なショッピングを控え家庭で工夫を旨とし、
地元社会へ参加、貢献、趣味等の好きなことで無償提供、
半自給自足のような取組みが挙げられる。
既に家電製品や移動手段の恩恵を受けているから、
少しでも自主的奉仕、身近な助け合い、
市民活動、議会公聴、町内会、家庭菜園などで
無償の行動で社会へ貢献することではないだろうか。

お金になる、お金を稼ぐ、ことがあまりにも是とされ、
無償の働き、奉仕の尊さが日本の社会から失われつつある。
(海外のようなサービスに対してチップが
必要な社会は実は病んでいるのだ。)

昭和50年代頃から「家事労働を時給に換算する」など
というマスコミの愚かな言葉が女性の怠け心や勝気さを刺激してきた。
家事の対価を考えたり、軽視することは
つまり人生を軽視することと私は思う。

女性が物欲、金銭、出世が目的の労働になる時、心の余裕を失い、
我が子へ接する態度がギブアンドテイク思考となる。
揚句、損得が最優先の社会荒廃に加勢する利己人間の増加…。
「それができたら、これをあげる。」
「それがほしいなら、これをしなさい。」
交換条件は人間を貶める思考である。
動物に芸を身につけるために餌を利用し手なづける。
動物は餌を得るために交換条件を与えられると頑張ってしまう。
人間も交換条件の振り子現象に囚われやすい。
そんな状態が子育てに子々孫々と反映増幅されてしまえば、
人として自主的、主体的な良心、想像力、意志、愛情、
そして創造性を自分の中に育てることが
更に、困難になっていく。
かくいう自身も無償の愛情を体得したとは言い難いが、
人生に於いて努力したいと思う。

無償さ、無条件さ、良心それが愛情と言われるものだろう。

元来、人は具わっていたと私は思う。

それを失わせるのが“対価労働でありピラミッド型競争社会”なのだ。

闇の権力の思惑を見抜けるように汚染脳に気付きたいもの。


母は人生の詩を伝える人。
人生は大儀や目的ではない。
人は自然の一部なのだ。
自然は無償である。

その普遍の摂理から目を逸らさせ続けるのが、
支配階級層の国際金融家と、一般市民のお金を追う
ミクロ労力の集積の肥大した幻影が
マクロ「マネー」なのだ。