ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

ぶらぶらはペットちゃん

ずいぶん前にマスコミでアルバイトをしていたことがある。
その頃、マスコミと闇支配が関連していることを分かり始めた
時期だったので、長居はしたくない…と思いながら仕事を
していた。仕事の内容はそれなりに楽しかったが、
局に漂うどんよりとした雰囲気はそれを象徴しているのかなぁ、
とも感じていた。

毎日局内の各部署に届け物があり廊下を行ったり来たりしていたのだが、
度々、廊下でとぼとぼ歩く年配社員を見かけることがあった。
局内に入るのには入館証がいる。局に勤務するほとんどの人間は
マスコミ人らしく首から入館証をぶら下げていた。
その年配社員も当然ながら入館証を首からぶら下げていた。

それを見て「ああ長年、会社の従順なペットちゃんなんだなぁ。」と

内心で揶揄していた。我ながら意地悪な見方だとは思うが、
勤務しはじめから私は入館証をぶら下げている姿がいやで、

それをバッチとして胸に付けていた。

十年前くらいまでは、社員証や入館証のようなものは

ほとんどの会社は胸にバッジだったと思う。

首からぶら下げてはいなかった。
首から入館証などをぶら下げるのはマスコミっぽさを

象徴するような慣例だった気がする。
TV舞台裏を紹介する番組やマスコミがテーマのドラマだったりすると
マスコミ社員は入館証を首からぶら下げる映像が印象にあった人も

いるだろう。

つまりマスコミ人は家畜化の象徴のはしりだったわけである。


それが今じゃ、猫も杓子も何とか証をぶらぶらぶら下げて、
「どこそこの者ですが、何か?」と言わんばかりに、
「ぶらぶら証」を身に付けている姿を見かける。

その「ぶらぶら」がかっこいいとでも思ってるのか?!


私はそんな「ぶらぶら証」を見るにつけ

社畜のご年配「ペットちゃん」を思い出す。
自分の判断を褒めるようで恐縮だが、

集団に属していても私としての胸にバッジの印象は、

個人と企業は契約であり対等で個人の意志や判断も

仕事に反映できる意識の象徴という気がするが、
「ぶらぶら」証はどうみてもマスコミの人間と同じく、

お金と権威を餌に、その庇護をあてにし企業に脳が占拠され

思考停止の家畜となった労働者である。



昨今の風潮は不況もあいまって、企業は個人より上であり、

個人の意志・判断・良心良識が不在の不気味なロボット化社会への

変移を感じざるを得ない。
企業は単なる箱であるはずが、擬人化し更には暴君と化し、

個人のまともな判断力や良心良識は、利益追求が最大目的の

利己的企業通念や慣習によって凌駕されてしまう。
人間は集団になると宗教性を帯びてしまうのも加勢しているの…か。

新卒でひたすら企業への就職を目指す若者は、どこかの集団に属さないと

己の存在を証明できない不安に駆られるのだろうか。


企業が暴君化する中で「ぶらぶら証」を嬉々として纏う社畜
「ぶらぶら証」は自尊心を失った、みっともない姿、

恰好悪い…侘びしい姿としか、私には思えない。

 

まあ、安全ピンだと洋服を傷めるとか、服の脱ぎに関係ない

「ぶらぶら証」が機能的なのかしらん、と。

象徴的だが些細な事は、気に留めるまでもないだろうか。

ともあれ社畜さんの「ぶらぶら証」の存在感がある会社の体質は

横暴だ、という尺度はたぶん当たっているだろう。

 さりとて会社を卒業?!すれば、そんなものどうでもいい。

 

ちなみに「わたしの小さな古本屋」田中美穂 著(洋泉社)は

ひとりで始めることの大切さをしみじみと感じさせてくれる

素晴らしい一冊。就職で頭を悩ませている若者におすすめしたい。