宗教科学芸術は支配の道具
現代の人間は政治権力には抵抗感はあっても
権威には無防備である。
偽学説を鵜呑みにして崇拝して
信じてずっと騙され続けている。
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人間3人いて、
どんな個性でどんな刺激、想像力で、
どんな満足を与えれば、納得し従属迎合していくか、
脳内状態を把握する実験すれば、支配の方法は解るのだろう。
そんな支配の正攻法を知る由もなく、
今日も明日も私たちは支配の罠にはまり続ける。
空の世界に刺激を与えられ、
色に顕れる「反応」の世界だけでものを考えるから…。
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支配を一般大衆が超えるには、まずは千年~1万年あるいは億年単位で
妄想でも良いから想像し、疑問を持ち、ものを考え、
己の本当の実感をさぐるという途方もない地道な作業をし続ける。
そして自然の厳格さが、人間の本質的な宗教であることを請け負って
生きる覚悟があっての…地球との肌の触れ合いが起こりうるのだろう。
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天変地異を嫌っても仕方がない。地球の均衡を保つためにある現象を
人間が天変地異と言っているのだ。
例え人工地震、人工火山爆発、人工台風であってもいい。
(そんなこと止めてほしいけどね)
毎日、人間は無意識にしろ農作業や土木工事では当然のように
植物に虫に微生物たちに天変地異もどきを作っている。
地球に住んでいることを
実感として人間が請け負って・感じ切ってこそ
地球に存在する意義ではないのだろうか。
支配は人工化であり、
複雑混乱の詭弁が、進歩である。
人間を土から切り離すということは
迷宮に入り、出られなくなるのだ。
即ち地球にいることを忘れる。
この時代
「蟻・蜂の群衆」ごとき私たち普通の人が
覚醒を迫られている時代ではないのかいな…。