子どもの頃から何故日本には新興宗教が沢山あるのか?疑問だった。
数年前は、ネットのエセはっくション道を本気で信じていた。
5年位前の記事で、明治期には天界の神に仕えていた
ケンゾク神の脱走によって新興宗教が発生した云々。
なるほど~と思ったのだが…。
さにあらず。
1年半前に当方が知ったのは、
幕末から明治にかけての廃仏毀釈。
日本仏教を大規模に破壊したその時、
還俗した僧侶らが新たな宗教を興したものもあろう…。
あるいは、檀家も拠り所となっていた寺が失われ、信心の向けどころが
徐々に新興宗教へ移ったのか…。
(*1868年〜あたりから(とはいえ、約20年前から
神道を軸とする明治政府の胎動を説明するには
おそらく、吉田松陰氏“山口”勢力らと平田篤胤氏らの脈動があったことを
加筆したい。江戸時代の裏社会を支配した隠れ切支丹暗躍がベースの推測。
(*一般庶民の日本人のルーツ【檀家寺で管理していた過去帳】を
抹消すべく。それにも重要な情報があったからこそ…と。
武士とか庶民という短絡的な判断ではなく、
どんな系譜で自身の人生に役割が、
在るかを知る手立ての……抹消に遺憾。)が、
廃仏毀釈によって粉飾?焚書?されてしまったことを無念に思う。
ひとりひとりルーツの先祖を思う、その対象が明治政府勃興期の廃仏毀釈の
激烈パフォーマンス(仏教否定破壊活動)で、アイディンティを破壊されている
ことを我々現代日本人は、ほとんど知らない。)追記:2017/3/11
◇幕末までの戸籍。過去帳抹殺。
◇現在の神社の多くは幕末までは寺と一体だった。
現在は鶴岡八幡宮と称するが、明治以前は鶴岡八幡宮寺という名称だった。
おそらく、八幡宮という名のところは同様であろう。
仏具類を強制的に供出させ木造から鉄橋に架け替えたという。
◇奈良公園はもと興福寺の敷地であった。幕末までは興福寺が奈良で
最も多くの僧侶を抱え規模は法隆寺より大きかった。
奈良は最も激しい廃仏毀釈の被害を受けた地域のひとつだ。
復興は藤原家の要請で政府から優遇されている。)
◇軍事力を整備する目的で幕末にいち早く鹿児島では1066もの寺が破壊され
梵鐘仏具類は軍事品へと姿を変えさせられた。
◇廃仏毀釈で日本の仏教芸術の宝庫は二束三文で
当時の訪日欧州米人に売られていった。
◇還俗させられた僧侶らの中で北海道の開拓労働者として駆り出された。
まだまだくらでも明治政府による寺への放火や破壊行為や、
強引で残忍な神道への強制改宗が挙げられる。
明治政府が天皇を現人神という位置づけにし軍事国家にするため、
神も仏も無かったのだ。
“平安”を唱えるはずの神道がずいぶん物騒なことである。
僧侶の権威、仏教勢力を弱体化することが目的であろうが、
更には日本の政治家や資本家や知識層がキリスト教への
改宗することへ要請も欧州国際金融家(ユダキリ・偽ユダ)からあった、
と推測される。
明治以降の新興宗教の勃興が、ケンゾク神云々などの見えない
根拠のない不思議世界の説明より、
明治初期の激しい廃仏毀釈で日本の宗教の形が
変わってしまったと考えるのが妥当ではないのか?!
学校教育の日本史では「廃仏毀釈」についてほとんど触れない。
史実として、わずかに教科書で文字が並んでいるだけという有様だ。
だが、その暴挙の事実を知ると幕末から明治にかけて
社会に大変な影響を与えていたのがわかる。
それを大したことはなかったかのように歴史教育で伝える。
つまり現代の政治にも不都合だからこそ、事実を隠蔽しているのであろう。
エセはっくションの影響で神道のブームがあるのもワンワールド化=ロボット化を
目論む某教と合体させるご予定が垣間見える。。。