ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

逝きし世の面影  第三章 簡素とゆたかさ__(感想メモ1)

幕末、外国人の目から見た日本人の特徴として
衛生観念や簡素だが美意識を伴った庶民の暮らしに
いたく感心している点は、日本人として嬉しい。
「昔の日本人の美意識はそれぞれが主体的な日々の暮らしの中で培かわれたもの。
自然を愛で己もその一部として和を保ち暮すことが尊いこと」を悟っていた。
西洋からのアート(農耕からの派生した単語/農耕も支配の始まりである)という
「選民贅沢、人工化、一神教からの派生」とは異質の
「美」があった。

彼らの場合、(倫理観を疑われるような意味合いで恐縮だが)
「個」を確立していくこと、「情」を育ていることの精神活動として
芸術や戦争が起きたのではないか、とひそかに当方は考えている。
ともあれこの書籍に出会い、読み進めるにつれて、
筆者はもちろんのこと、
訪日した外国人の冷静な観察眼にも感謝だ。
その後、彼らの采配で大変なことになってしまったが…。

当時、訪日した欧州米人は支配者層であり上流階級の人間だから、
衛生にも特に敏感であったようだ。
前回述べたが身の回りの所用を他人に任せる彼らには、日本人が各々
腰軽に家事の工夫、清掃をこまめにすることに感心したのであろう。
日本人の掃除は「清める」という精神性もあり、これは儒教的なことなのか
あるいは八百万神への感謝もあるのは解らないが、気を浄化することにまで
繋がっている。
観察した彼らも、そうしたことを漠然とは感じていたであろう。


先祖が生活や仕事の中で主体的にまめまめしく生きてきた精神性、
腰軽さ、サービス精神を、現代にはこれを悪用されていると言えまいか。
外資系企業に端を発し、接客サービスをマニュアル化し主体性を押し込め、
自己判断を失わせ、ロボットと見まがうほどの
無機質なサービスが職場で横行している。
奉仕精神の形骸を企業は武器にしている。
客としてこれを目にすると私は気が滅入る。
次世代社会に最も懸念を抱く問題のひとつだ。
心は苦痛でも金の為の我慢、という構図である。

感じないだろうか。疲れている店員さんがマニュアル通り慇懃無礼とも
思える接客やレジのやりとり。お金を支払う時に、形ばかりやたら
丁重に礼を言われるとかえって気に障る。あの感じである。
企業のために感情を押殺し役者かピエロのように振る舞う賃金労働。
奴隷のような抑圧した精神状態は社会の空気、気運をどんよりさせる。
他者から与えられた指示で行動し続けると想像力を失うのではないか。
こちらは手に入る物と時間切売り労働へ有難うと、
伝えることがせめてもの歯止めになるか…。
これは携帯電話やTVにも同じ問題があると思う。
想像力が失われ意識が鈍化してしまい、感情は歪み
心が通じない奇妙な人間へ変質せんばかりの現状だ。
より一層、悪質な支配者の独壇場となってしまうのだ。
先祖が育んだ生活や仕事への活気、主体性はもう戻らないだろうか。

外資系企業が日本労働者に強要する図式は金銭を与えるゴイム化だ。
彼らは人工種を隠蔽し自然種を隷属させ、入れ替わるつもり…。と、
推測的妄想をしている。

野生動物を思う時、元来、生物には気高さや
自由奔放さ、野性味がある。それはかけがえのないもので、
自然の恩恵に則った生き方は、自他への尊厳が育まれる。

職業に貴賎は無いにしても、人間の想像力や良心、自尊心を欠損させる
近代から現代にかけての賃金労働。そのほとんどが矛盾を孕み、巡り巡って
地球に迷惑をかけている。
勤勉さを美徳としたのは明治大正昭和のロスチャ○○資金援助による
軍事国家政府のプロパガンダである。
国や企業の道具になるほど人間は安くないのだ。
自分に権威権力など無くても、対等に企業や国と接していくべきではないか。

支配は人工化でもある。マスコミや教育の悪影響で、
己を粗末にし、偽の〝世界はひとつ〟を喧伝し、海外海外の連呼だ。
自国風土、母国語、自国文化を軽視、忘却する風潮が席巻している。
自然種である民族が、人工種に乗っ取られようとしている危機感がある。

現代日本で、もてはやされるイラストや絵画、アニメ、映画やゲーム画像の中には、
痛々しいような人間、あるいは人間の狂気を描いた不気味な像が大量に流通している。
あるいはマスコミが取り上げるジャンクなダンスを見ると、所作の
荒々しさや品性欠落を感じる。ついでに関節や筋肉に悪そうだ。
スポーツもやり過ぎると毒になる。
女子サッカーなど過激で乱暴なスポーツは不妊の可能性を私は心配している。
理にかなった動きではないことは美しくない。人体を傷める。
あれは肉食や意識汚染による単なる発散行動ではないのか。
意図的であろう。高級ファッション雑誌広告は娼婦的でひどく品性を欠いている。
巷の服装も大量生産衣料であり、製造側もコスト重視で、生活や街の景色は粗雑さが著しい。
その発生源マスコミ広告出版物やネット上広告も薄汚れた印象である。
そして欧州欧米からの文化らしきそれは、まるで上品上質高級ぶったイメージを与えられている。
150年前まで、日本人の品性や上質さ、精緻さに驚いた彼らは、
日本人の好奇心旺盛さ、遊び心、天真爛漫さ、熱心さだけを切り取り、
その源泉となる品性、特性を破壊すべく、
下劣なマスコミ情報社会を作り上げ日本人の価値観を貶めるよう仕組んできた。
今では、欧州欧米の「見せ方が上手い中身空っぽ世界観」を鵜呑みにしている日本人。
服装の下品さ、会話の貧困さ、興味はマスコミや権威から仕入れたことばかり。
見えない世界への想像力は崩壊している。見せ方さえ良ければ、
多数決賛同で、乱痴気下品、粗野粗悪なこと、威圧感、差別感、冷酷さがあっても、
かわいい、おしゃれ、かっこいい…。
感情は荒々しくなり、奥ゆかしさや情緒や思いやり温かさが消滅した社会。
本質を見失い偽物眼になってしまった。食べ物の影響もひどいだろう。

農耕をしていない人間が神社を有難がるのもおかしな話だ。
自分の救済、利益のために手を合わせる欲得宗教だ。
江戸時代もさほど寺社を崇め奉ってもいないのが日本人の慣習だったようだ。
道のお地蔵さまに足を止め、無心で手を合わせるような信心が本来の祈りだ。
現代人の心には八百万神はもういない。美辞麗句を並べて宗教倫理を語り、
本や布施賽銭でわざわざお金を進呈し
国家神道による思想支配、軍事化の洗礼を受けている。
あちこちのマスコミ雑誌広告等で神社を神聖ぶる特集や日ユ同祖説が
増えているのは、軍事化ロボット化を目論んでいるからだ。
権力者の作りだす危険な風潮を回避するための、
日本人の「自然美や気」を感じる鋭い直感力や繊細な感性は喪失した。

当方の視点が否定的過ぎるかもしれない。
だが、大量に流通している物質や情報には人工種が自然種に成りすます為の
奇怪で交錯的な意図を感じてしまうのである。
イギリス人の知識層が和式トイレは体に良いと言っている。
フランスでは日本茶を有難がり鉄分を摂取できる鉄瓶がはやっている。
腸が少し短くどちらかと言えば肉食も可能な体質を持つ彼らの中で、
上流階級の人間が、ベジタリアンヴィーガン、フルータリアンと言って
熱心に精進している。
ヨーロッパでは畳が良いと言っている。
小麦粉も避けた方が良いと混血人が言っている。

そして、日本人はパンをやたら真剣に研究し、欧州風パン屋が繁盛している。
足が長いことがいいと言っているが、腸が短くなると
脳の皺が減る可能性もあろう。つまりパン食=愚民化だ。
玄米が通じない日本人がいる。
お茶はペットボトルでしか飲まないような人間がいる。
コーヒーが完全に習慣化した。薬草の知識など皆無。
原爆に使われたテフロン樹脂を知らずにフライパンを毎日有難がって使う。
電子レンジで温めた水を植物に与えると枯れるというのに、これも毎日有難がって使っている。
(電気メーカー重役は電子レンジ危険と知人に囁く。)
フローリングだけの家にしている。
平気で十字架のアクセサリーや頭蓋骨の絵柄をつけている。
奴隷になった多くの先祖のことは知らない…。
もう洋式トイレしか使えない子供が増えている。
正座もまともにできない。
パン給食やマクドナルドを幼い子に与え日本人のソウルフードに仕掛けている。
マーガリンやフライドポテトなどハエもたからないというのに…。
気が狂っている。

英語等欧州の言語文字ルーツは納税記録が由来のようだ。
大和語が祖の日本語のルーツはかつてあったテレパシー能力の片鱗であると思う。
いわゆる言霊に現れるエネルギーだ。素朴だが微細で情感豊かな言語でもある。
家人が教えてくれたのは「せつない」という意味の英単語はないそうだ。
優劣を言いたいのでははない。
母国語を粗末にすると思考能力は低下して精神性が下がってしまう。
今時の日本の母親が、子供に英語を無理に身に付けさせ国際的と勘違いする
軽薄さ浅知恵が気になる。家族でTVを消して日本語で充分会話をして読書をすれば
きっと、身につける必要がある人間は身に付く。ただそれだけのことだ。

あまり批判ばかりしていると、自分も同じ穴のムジナになってしまうから、
程ほどにしておこうか。
それにしても、昨今の意識の汚染と自然環境の悪化、加えて人体内、生物の汚染は
呼応しているだろうし、甚だひどい状態だ。

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昭和初期くらいまでは、素材に本物を使った和装が暮らしの中にあったのだ。
母が時々口にしていたのは、
「着物は全く捨てるところがない無駄のない素晴らしい物よ」と。
傷んだものは糸をほどき、赤ん坊のうぶ着やオシメ、布団や座布団、雑巾まで。
シンプルに用いられる布の縫製は、その布の形が無くなるまで使い切ることができる。
豆腐に刺して針供養という風習も
なんとも物への愛情や感謝が深く、知恵深い。究極のサイクルだ。

自然に寄り添った先祖の衣の知恵や愛情も、
今や、選民の為のような贅沢品のイメージとなり、汚されてしまった。
外国人が映画などで不自然なまでに芸者や舞妓を取上げ、
着崩した淫靡で品のない印象にすり替えられかけている。
民族衣装を着こなすことは美しいはずなのに。
昔の日本人が本当の意味で美しかったのは着物を着た立ち振る舞いの優雅さもあっただろう。
現代の日本人はキレイにはなったがきつい顔の女性が増えた気がする。
ジーンズは労働作業着である。ゴイム用であることを承知で消費させているのだろう。
遺伝子組換綿で儲けている。

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衛生について思うのは、もう戦後からずっと日本人の身の回りの洗剤等衛生日用品が
非常に危険なのだ。これは日本人が衛生観念に敏感で、明らかにこれも逆手に取られている。
外資から国内資本まで日本人を餌にして、広告と化学薬品でがっぽり儲けている。
そして彼らの目標、自然および人体の破壊、水質汚染や人体汚染…
発がん、アレルギー、奇病等などで医療費増大、人口削減。
食品や衛生用品のTV番組、広告、雑誌でこれでもかと仕掛けてくる。

当方は玄米菜食を心がけるようになって、時に脱線はしているものの、
動物性はごく少量にした日常が7年くらい。快適である。
家人も3年くらいで12kg減、当方は7kg減、花粉症だった家人は
今はほとんど症状がない。体臭や口臭もほとんど無くなる。

玄米菜食とほぼ同時に、せっけん重曹に切り替えたが家の
清潔感は増したと思う。掃除機も使わず、箒と水拭きで充分だ。
石油系シャンプーリンスもいらない。歯磨き粉はナスの黒焼き粉。
化学薬品が身の回りにあることで、かえって重たい気が家の中で
発散している感じが解るようになった。
企業製品は完全撤廃して気分上々。大企業製品など見るのも嫌だ。
最近はデザインの凝ったブランド物あるいは高級な車を見ても、
威圧感や虚栄心、ガメツサ、下品さの印象を受ける。
権威や自己顕示的な意図は「気が低い物」と私は感じているツモリ。
香水や芳香剤の匂いも辛い。
ドラッグストアやホームセンターは長くはいられない。
一般スーパーも良い臭いはしない。
コンビニはごくたまにコピーだけ利用させてもうらうがほぼ必要ない。
特に不便を感じもしない。
あのような薬漬け、ケミカル臭、異臭を放つ商品の中で
働いている人は大変なことだ…と思う。
まして商品製造現場は痛々しい。庶民受難のご時勢だ。

ともあれ…。個人で始められること。
食事を菜食に変えれば、内臓(特に肝臓、腎臓)が浄化されるようだ。
自然と衛生用品もシンプルになる。台所も複雑な汚れがない。家計にもやさしい。
大きな工場が必要な日常品食品はできるだけ避けていく。
水筒を持参すれば最も安心なお茶が飲める。
本当はせっけんも重曹も使わなくて良い生活にしたいのだが…。
そこまでは到達していない。
肉食や揚げ物、加工食品の害も解る範囲でいづれ書こうと思う。

動物性を食べることを完全否定する訳ではないが、現代の食肉産業の惨状や
自然環境、人体への影響を考えると〝有害〟だと思う。

欧州人が江戸社会が清潔だと感じたのには、やはり食生活が肉食しなかったことも大きいであろう。
江戸では人糞は売買の対象であり特に若い人が多い力士部屋などの人糞は
高値で取引されたとか。笑ってしまうようだけれど肉食をしなければ、排泄物は
危険な細菌やウィルスも少なかっただろう。回虫やぎょう虫はいたようだが。
薬草茶を飲んでいたことも健康を保つ秘訣だったかもしれない。

地球の生態系が整うというのは、安心な人糞や動物糞そして屍も
自然な形で大地に戻ることなのだろう。

現代は食から便所まで明らかに間違っている!!ぷんぷん!!