ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

成長とは何か…の、いまの私感  1

 

 

この世の成長とは何か。

目に見える世界の成長と

目に見えない世界の成長。

 

それらを思うとき、

目に見える事象、肉体としての

成長とは、外的世界への広がり、

と共に、衰退や老化、有限。

表裏、縦横、陰陽の、

逆が在るのは、三次元の摂理。

 


見えない世界の成長とは何か。

内面の成長とは何か。

 

それは、受認・受容であり、受入れるという、

目には見えない行為・活動であり…

内的世界の成長は、無限。

 

外的世界の現象、混沌の中での経験。

身体、物理的な活動なくしては、

精神・意識の成長も為し得ることはなく。

 

それを映す内面、精神の葛藤で起きる摩擦熱。

内外の均衡を求める、

求めざるを得ない性が、人間に具わっていて…。

 

摩擦熱を理性で冷却し、葛藤を理性で整理し。

感情で納得し遊びを生み、

次なる変化の余白も作り出し乍ら、

意識は受入れて、内的世界の成長があるのだろう。

 

三次元の活動の中で、目には見えない意識の活動が器を作り、

広がり強化され、純化され、繊細さが具わっていく。

意識の密度、質の変容であろう。

人生はその繰り返しなのだ、と。

 

 

内側と外側には循環と、

有限・無限のパラドクスがあるなぁ、と。

外的世界の混沌や摩擦熱、

間に起きる葛藤。

内外世界の均衡へ向けての、

パラドクスな熱エネルギー。

引き算のような作業は、不可欠な訳で。

 

植物に喩えた温室育ちなんて言葉は、もちろん皮肉だ。

温室育ちには未知の恐怖・怯えが付きまとう。

それは神経質であって繊細さではない。

似て非なるもの。

安定安全を求めている間は、保身故に、

不安が付きまとう。

 

物理世界で

大きく広く多く強く速く…、

拡大・拡散・波及・制覇・席巻・達成…というのは、

成長ではない。

足し算だけの片面であり、理を逸脱した活動、

短絡したもの。

それは、膨張であり、肥満・肥大であり、浮腫であり。

‘影の如く、幻’だとワタシは、常々思う。

それに騙されて続けているのが唯物即物の社会世相な訳で。

密度や質の希薄で、劣化する。

不安を来すのは当然の理である。

 

 

言い古された喩えだろうけれども。

人間元来の成長とは言わば、

野生植物動物が、自然界のあらゆる刺激、

穏やかな日々、時に風雪日照りを受け、

他生物の寄生や戯れ、捕食や共存もあって、

狂気、毒も駆使しながら…。

 

可視できない細胞それぞれが増えたり減らしたり、

未知の変化をしながらの…。

 

ゆっくりと、たまぬ活動で、

自然なる揺るぎない生命力を培っているのと、似ている。

成長は、急ぐなかれ、と。

 

ありきたりなこと。

内省を込めて、

そんなことを

ふと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

またもや、ケムトレイル…ほか

 

 

 

本日快晴。

 

で、ケムトレイルである。

各都市の自衛隊基地を結ぶラインに発生する、ケムトレイル

飛行機雲に見せかけた偽油田指令&半島系の悪徳作戦。

(人口削減目的の…気象操作、ウィルスや危険物質の散布)

 

八月下旬も凄かったけど、

十二月の澄んだ空も、派手に汚してる。

むむむっ×っ。

 

またやってる。

焦っているんだろうな…。

偽油田勢力&半島系。

 

 

一昨夜、自宅にNてーてー代理店を名乗る

営業電話がかかってきた。

押し売り電話だ。

プロバダ変更を強要する脅迫まがいの内容。

会社名や自身の名前を名乗らない。

何と馬鹿な人生時間の使い方の労働者だろうか。(笑)

高い給料欲しさ、カネや出世に取り付かれた者は

大なり小なり迷惑行為で人生が過ぎていく。

お気毒だ。

 

某YouTuberにも架空請求

奇妙なハガキが届いたという

昨日の動画の話題。(笑)

 

偽油田&半島系の

歳末恐怖キャンペーン中なのかいな?!

 

オレオレ詐欺とか、PCウィルスソフトとか、

インフルエンザワクチンの脅迫的摂取とか、

中毒になる薬の密売ルートとか…。

自作自演の恐怖商売、ゴクロウサマ。

 

 

大衆に、マクロな恐怖、犯罪事件や事故を与えられるのは、

相当、巨大な組織ではないと、不可能でしょ?!

 

 事件事故がないと儲からない輩が、

仕掛けているとしか思えない。

 

 

やたらあちこちにあるオレオレ詐欺

警告するポスターなどの広告費があるなら、

被害者に補填してあげて下さいよっ、

ってなことを思うんだが。

 

ホントは、オレオレ詐欺に引っかかった人のお金で

広告費が支払われていたらドウスル???

おデン通サマに。(笑)

 

 

 

マスゴミメディア世界は虚言世界。

マスゴミで大騒ぎする犯罪事件事故スキャンダル情報は

大半が自作自演&捏造でしょぅ…。

どんだけ汚染脳社会だってことに

いつになったら気付くかなぁ…、ワレワレ一般人は。

 

 

裏側の巨大犯罪組織が…

闇勢力の…支配する、

株やカネや政治やらマスゴミやら、

あらゆる表側の世界と出所は同じだ、と言うことを

そろそろ気付こうではないかっ!

 

 

一般市民はほぼまとも。

が、一般市民・各々の無意識層の、

恐怖心やら、目を背けている、

逃避しているようなこと、

病んだ精神の部分、

カルマみたいなものが、

ヤツラを泳がしているんだろうなぁ。

という仮説を思う。

 

闇勢力は、みんなの病み代表。

善人の恐怖心が、ヤツラのエネルギー源だ。

 

 

 

 

油  3

 

 

先述したことと矛盾し、

文字情報から分析した話を書くことをご容赦頂き。

食用油に関してもう一度、書き留めておきたく。

 

カネミ油症事件について、いくつかのネット記事を読ませて頂いた。

被害の大きさ、被害者の苦労を思うと、

安易な憶測を書いてはならないのは承知だけれども。

この事件も現代の企業事件と同様、

プロパガンダとして利用されたのではなかろうか、と。

 

 

 (近年の企業事件の裏側には常に、

企業買収と資産争奪つまりは日本乗っ取りが、

ひとつの重要な目的であり、秘密裏の株価操作であったろう。

故に、米油の事件があった1960〜70年代経済の裏情勢は

狙いが違って、市場獲得、消費動向の操作であろうか、と。)

 

他の原料に比べ米油のメリットを念頭として。

 つまり「米油」に対して漠然とした

危険な食品というレッテル、イメージを

当時の消費者社会、特に主婦層に流布するのが

大きな目的ではなかったのか。

サラダ油というブレンド油(大豆、菜種、コーン等の輸入原料)が

家庭でのスタンダードになる市場戦略があったのではないか、と。

 

食用油も支配のひとつの柱とし(1970年代から既に…)

遺伝子組替の原料やその産物の家畜飼料、

諸々食品を輸入原料に依存させる目的は、(石油を軸とした生活物資全て)

戦後から日米交渉と称し、具体的に実現されてきた。

(某巨大食用製油メーカーの大株主は誰なのか…でもある)

更なる憶測だが、PCBの人体実験という卑劣な目論見が

偽油田真の戦略に含まれていた可能性も…。)

 

 

カネミ油症事件の経緯は、事故原因から被害結果に至るまで、

裁判や資料、書籍等で事実関係が明らかにされているようだから、

あくまでも偶発的な事故であって、

計画的な事件などと、推測するのは陰謀論者の

陥る安易な視点ではあろう…。

(が、事件と事故の言葉扱いに、マスゴミ意図と象徴性を思う。

妄想に近い煩悶か。。。)

 

 

 

米油の製造法は、米糠から製品としての食用油を抽出するのに

工程後半の段階で230℃という高温による脱臭が必要となるという。

(他原料も脱臭は必要)

当時のカネミ倉庫の米油製造の脱臭工程では、蛇管(螺旋状ステンレス管)を

タンクの中央部に配置し、PCBの特性を利用し250℃に加熱し

それを蛇管に通し、間接的に米油を加熱し脱臭する方式であったようだ。

それが六機並び、そのうちの第一機に支障が起きた事件。

 

 (他社の米油及び大豆菜種コーンの食用油の当時の製造法を

調べ比較したいけれども、資料として見当たらなかった。)

 

 

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〜 参考までに〜

現時点で調べたサラダ油の製造工程

[準備工程]

原料保管(発酵抑制)→精選→乾燥→粗砕→加温→圧扁

[採油工程]

→油分多の菜種トウモロコシは圧搾後ヘキサンで油分抽出⇒*

→油分少の大豆米糠は直にヘキサンで油分抽出⇒*

(胡麻は焙煎後、菜種トウモロコシと一緒に圧搾)

[精製工程]

⇒*‘脱溶剤▷脱脂粕’→‘水(脱ガム)▷ガム質/レシチン

→‘脱ガム原油’→‘リン酸(ガム調整)→‘苛性ソーダ(脱酸)’→‘(ソーダ油滓)’

→‘水(水洗)’→‘’白土(脱色)’→‘濾過助剤(濾過)’→

‘濾過助剤(サラダ油用 脱ロウ)’→‘水蒸気(脱臭)’

→‘’濾過助剤(仕上げ濾過)’→‘’製品タンクへ(食用油)’

[充填工程]

→‘計量・充填(加工用・業務用・家庭用)’

 

企業製品化のための[精製工程]の現場を推して知るべし…と。

ややこしい食糧物資を当たり前に消費している

現代人の食の不気味さを思い記載した。

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カネミ油症事件その当初は、その脱臭工程中の米油にPCBが混入した

原因を九州大学の分析調査(現場調査不十分な事も問題となっていた)

元にしていた。

PCBを流動させる蛇管に、ピンホール状の穴が3箇所あったとして、

そこからPCB流出があったことを前提にしていた。

よって、カネミ倉庫と、

鐘淵化学(PCB製造者側の物質の危険性の説明不足・鐘紡子会社・現カネカ)と、

被害者の三つ巴の裁判が続いた。

だが、PCB粘性(固い性質)などを加味すると、そのピンホール説では

説明のつかない矛盾点があった。

カネミ倉庫がわずかな期間(約1ヶ月)に280LのPCBを補充した状況。

 

その後、カネミ倉庫親族経営陣のひとり加藤八千代氏が、

‘被害の甚大さを知り’、経営販売等の内部告発、自著出版と、

社員による温度計修繕の際の溶接ミスを認め、

原因の事実関係が10年以上経過し、明白となった。

 (この時点から、マスゴミ・新聞等で事件と銘打つなら…と。)

 

 

他にも、事故発生前後の経緯詳細に事件関係者らの奔走の記録がある。

プロパガンダの可能性をこの事件や経緯に見出すには困難で、

繰り返すが、素人の言及するところではなかろう。

 

が、しかし更に、穿った邪推とは承知だが、

温度計修繕の溶接に携わった職員が工作員という想定や

内部告発としての自著、それが買収取引であるとしたら…、と。

そこまで妄想を逞しくしてしまった。(長期間の裁判がそれをさせる可能性)

 

漠然としているがその根拠のひとつに、カネミ倉庫が今も尚、

存続し米油を販売している状況。

更には、企業ルーツにも不審が及んでしまう。

 

引合いに出す例がお門違いかもしれないが、

暗殺された政治権力者、その真相を知る事の無い子や孫が、

時として要職に付く・重用される等、

その妙な高待遇を政界財界マスゴミ界等で垣間みる。

 

 

 

 

事件の発端、経緯、結論に対し、…企業の、更にその背後…という

状況を想定するほどの情報や知識も得る事はできない。当方が、

過去をほじくりだしてとやかく言う立場では、全くない。

あくまでも、いち消費者として、

単純に食用油への疑問が多々湧いただけだ。

「米油」をキーワードに、この事件に目を向けた者として、

推理を許されるだろう、気になる点を

あと、わずかに挙げておきたい。

 

 

カネミ油症事件記事を端に同じような1970年代の事例が

二件、目に留まった。

 

■1973年千葉ニッコー事件(未遂)

(サラダ油・菜種、キューピーマヨネーズ、

マーガリンに、化学物質ダウサムK・KSK混入/市場販売未然回収)

■1979年台湾油症事件 (約2000人被害)

 

千葉ニッコー事件は幸い、未然に防ぐ事ができ被害者は出なかった。

が、マスゴミ沙汰になり、

カネミ油症事件直後で、食用油に関して

日本の消費者動向は神経質になっていた。

 

 

カネミ油症事件と共に、台湾油症事件では、

台湾も日本と同様、主食は米であり、

原料がどちらも国内で賄える状況下での事件と言える。

 

 

千葉ニッコー(当時、日本興油子会社)がサラダ油等の製品を

国内産の原料で製造していたかどうか、

輸入量から類推するより他ないのだが。

現時点で日本で食用油の代表的な原料として、

大豆、菜種、コーンが挙げられる。

 その輸入量と国内自給量を戦後からの経緯で調べると、

戦後直後から、輸入品の代表である小麦と共に‘大豆’も、USAからの大量輸入に

切り替わっている。(軍需消費終了に伴ったUSAの農産物の処分事情からである)

菜種は昭和30年代から輸入量が増加していく。

 

 

多国籍企業・関連商社や、一般人目線の市場観察でのN清製油の

君臨ぶりを思うと、日本人の食生活が大きく変化する時期、

市場獲得せめぎ合いの過渡期に、起きた事件であることは、

記憶に留める必要があろう。

 

 千葉ニッコー事件、台湾油症事件は

当時の情報を集める程、メジャーな事件ではなく、

カネミ油症事件と比較し詳細を調べるのに資料は少ない。

どこまでも推測の域であるが、この三つの事件を、偽ユダ勢力、

あるいは(多国籍企業関連)大企業による罠と、漠然と感じてしまう。

今更言い出したところで、無意味かもしれないが、

昨今の企業事件の裏側、真相を

知り始めると、さもありなん…と。

 

 

ともあれマスゴミで連日大きく騒ぐ事件事故のニュースは、

“すべて、決して、一般市民の安全や利益のためではなく、

偽ユダ支配の勢力維持あるいは拡大のための株操作、

または半島系勢力ニッポン支配層らの資産維持や史実捏造の都合で、

計画的事件を起こし、自作自演の情報発信していることがほとんどである、、、”

という先入観、そうした色眼鏡ならば、

一般人は持った方が賢明だ、と思われる。

 

 

 

 

結論は飛躍するがカネは個人が手にすれば、

束の間の幸福感は与えてくれるが、

一般市民全体、地球全体を幸福へとは導かないことを

支配者層が運用するマクロマネーの流れと性質が、

それを伝えているとワタシは思う。

 

 

 

****************** 

 

 

〜余談〜 

 

GHQ主導の食育運動によるフライパン運動と称すプロパガンダは、

食用油消費量を格段に増加させた。

 

敗戦国に対して、GHQが食糧支援という体の良い言葉を国民に、

マスゴミで流布しつつも、USAの実状は戦後、軍事需要が終了し

戦時中の増産による余剰作物の処理場として日本が標的になったのだ。

戦後直後から日本に対し強力な経済支配と利益収奪が開始。

USAからの大豆輸入量やGHQ主導のフライパン流布運動、

また学校給食のパンと牛乳というものに、如実に現れている。

 

小麦、乳製品、油脂、肉類、嗜好品(コーヒー等)という

西洋型の食生活が、日本人の心身の健康を蝕んでいるにも関わらず、

幼い頃に刷込まれた味覚の基準は、

ほとんど変える事ができなくなってしまった。

日本風土に則した自然環境、生態系に負荷の少ない、

もちろん健康的で知恵深い日本食文化も、他の文化と同様、

こうして壊されていったのだ。

 

 

経済支配、いやそれ以上の事、

日本を長期に渡って、

(およそ中世・1500年代から〜〜である!)

国民が無自覚のうちに、生活・社会全体の汚染脳支配を

揺るぎないものにし(明治期)、やがては解体し、

文化、生活総体、そして国、民族(ルーツ真相の重要性)

崩壊・抹消させたい意図が‘USAをも

操る偽油田の真の目的’が、現実的に具体化し施行され始めた時代、

それが1945年以降であろう。

かつ、偽ユダにとって明治以降は、‘マスゴミ’が最大の武器である。

 

 

中世から近世の奴隷制時代とは違って、

一般人が自覚できない無意識の家畜が故に、その汚染脳は、

ゲンダイ生活、ゲンダイ文化科学、それにまつわるゲンダイ経済、

「すべてのひとの‘現代的な’人生に汚染脳が潜んでいること」を

“彼らのの目的を踏まえてこそ”

自覚できて来るのだろう。

 

当たり前の、無意識過ぎる、

日常の中にある。

 

 

 

 

 

 

 

 

回帰したい衝動

 

 

蟻の目線に、気持ちになって、
一枚の落ち葉を感じる事。


そこから湧いて来る感情を
人は楽しむことが出来ていたのだった。


雲を眺めて
遠くの風を想像する力が
人には具わっていた。


一滴の水が水面に落ちる時、
その波紋から未来の現象を感じることができた。


あるがままの自然から語られる
声なき声を聞き感じ育てることができた。


もう、人はそれを失ってしまった。
人間は一体、これから

どうしたらいいのだろうか。

 

 

 

 

 

メヴィウスの輪だな

 

 

文字や言葉、あるいは画像や映像で

知識を仕入れ増やし、

様々な場面で多少の結果を出して、

人生の中で展開しても…。

 

結局、正と負、陰と陽、上と下、善と悪、優と劣…。

表裏が立ち現れてくる。それに支配される。

どんな言説を信じても、

とどのつまりその繰り返し。

 

 

実感、体験、一人の内面的小さな悟性の集積の大切さ。

 

それ以外は…、

メヴィウスの輪だな、とこの頃思う。

( 平面的・二次元の、規則的一定の変化)

 

実感、体験そして真実への、

一人ひとりの内面的気付きによって、

その短絡の無味乾燥な平面の…、

永遠ループを断ち切ることが出来る…、

可能性。

それを好奇心とも言えるかも知れん…。

 

 

「新たな」意識の時間空間を獲得する(壮大な事)というのは、

創造するに至る契機・チャンスを

地球という場で、(些細な事で) 刻々と与えられている。

そんなふうに思う。

 

大昔のある時代から…。

 

 

 

今 思うこと

 

私たちの未来をお金に託すことなどできない、

とワタシは思っている。

 

今のワタシがせめて言える事は…。

 

身近な動物や植物、名も知らぬ草や木から、

虫から、海の生き物から…、

小さな真実のささやきを感じ取って、

そこからしか、

未来はやって来ない気がする。

 

満天の星々から降り注ぐ静寂の、真実の伝言を

夢や直感で受け止めて、

淡々と未知を道へと

変えていくことなのではないか。

 

自然が厳しいのは、人間の内なる甘さ甘え故、と。

 

 

 

甘々って慣用句。

意味深?!(笑)

 

 

 

ワタシへ

 


本音、本気、本性をさらけ出す、
「勇気と自信」があるか、自問自答。

 

小難しい立派な思想や哲学や知識で、
己の心象・無意識という領域に、

オブラートで包んでも…。
「本体」が自覚・浄化されなていない
欲望うず巻く毒素の塊ならば、
他者へ毒ガスをバラまいている。

 


オシャレだ、格好いいだの、頭良いだの、有名だの、
たのしい、きれい、かわいい、イヤされるだの…、
刹那や享楽のうたかたの「自己満足、気分」で
己を誤摩化し「本音、本気、本性」から

目を背ける、
人生時間の無駄さ。

 


宇宙に近い超意識で、
毒と分かっているから、
無駄時間と分かっているから、
偽の平和主義や偽の善人である努力故に、
苦悩や迷路が延々と続く。

解っているから分かることが

怖いのだ。

だから、己をダマす技を磨き続ける。

 
本音から目を背けて、惨忍さや冷淡さや意地悪さを
野放しにできる、逃避思考。

 

 

正義感、正論、正しさの飽くなき追求は、
あらゆる後悔の残骸。   (常識という外部の物差しだから)


己への偽りの無さに行き着く果てしない旅。
地球の人生。
内なる過酷なサバイバルゲーム


本音、本気、本性へ。
真実を自身が自覚し獲得するまで、
「己との戦い」である自覚が無い者は、
命を授かっても、
外部情報で偽自己肯定あるいは批判三昧の

お遊戯。

 

死ぬまで偽人生。
それは、地球を摩耗させる人生。

 

己の真実へ向う基本を忘れずに…。
と、ワタシへ本気で伝えよう。

 

 

 

 

油  2


 

ずいぶん前のこと。

紙製の米袋に米糠をしばらく入れ置いてあったのを

ふと見たら、シミが出ている。

そうかぁ。米油か、と分かった。

が、糠からこんなにも自然に油が滲み出すものか、と驚いたことだった。

それまで、糠に油が含まれていることを意識することがなかった。

生物であれば細胞膜を構成する成分として脂質や蛋白質がある。

米は種だ。細胞として膜に油分があるのは当然のことだけれども。

 

自給率が他の食物に比べ最も高い、かろうじて維持できた

米は、日本人の主食である。

 

GHQ政治支配で、農地改革や西洋型の食事プロパガンダを経ても

自給を持ちこたえて来た米作。 

 〜人間に元来“主食はない”という自説はあるけれど…さておき〜

が、それもおそらくは政治的支配の何かと引替えになったのだろう。

日本に対し(勿論・計算ずくの)敗戦国烙印のもと、

USAを傀儡とした偽ユダらのそろばん勘定が合わないことでは、

決して政治采配の自由をも与えないやり方だ。)

 

 

しかも、江戸中期から現代にかけて搗米・精米する習慣が浸透したから、

米糠で油の原料調達し、国内生産可能な食用油だ。

菜種、コーン、大豆 に比べると米糠からの抽出量は少ないそうだが、

他の植物と違って、糠である。限りなく無償に近い。

かつ、植物を無駄に粗末にしないで済む。肥料にも適している

一石二鳥の原料だ。

 

菜種油は江戸時代には、灯りなどの燃料として利用していたそうで。

本来、食用に適さないだろう、と武田邦彦氏が指摘している。

かつ、キャノーラ油(菜種の遺伝子組替油)は、欧州で工業用油として

開発され利用している、食用にしていない代物だ。正に今、日本はゴミ箱状態だ。

キャノーラ油が危険だとする話題がネットでも多く見られる。

 

 

 

輸入に頼らなくても、食用油の「原料」を安価に確保できる。

また、他の食用油より加熱しても酸化しにくい、

生物細胞の酸化も防ぐビタミンEを多く含有したり、と

様々な利点が多い米油。

 

 

 

偽油田が君臨する多国籍企業らは、軍事特需生産物が

世界大戦終了と同時に余剰し、特に日本は余剰農産物の得意先、

否、処理場として戦後以降、標的にされた。

現在も遺伝子組換や放射能汚染などの訳あり資源の処理場扱い。

 

ゆえに、日本の国内資源で製造や市場が成立することを偽油田は許さない。

衣食住のすべて、社会システムの物理的な

「原材料」「燃料」を輸入、他国(特に欧州系・USA企業)に

依存せざるを得ない国家・社会システムにしておくことが、

偽油田にとっては、あらゆる戦略の自由になる手立てとして、最重要項だ。

優性学思想の彼らは、戦略に道理や倫理などみじんも無かろう。

鎖国時代の日本を逆手に取った国民国家の瓦解方策にも思える

 

近年日本の食料自給率は約38%前後を推移。

オーストラリア223%カナダ264%アメリカ130%

フランスは127%ドイツ95%。(農林水省独自計算“カロリ-ベ-ス”より)

 

内需給率を上げる事は国の体力を保つ事であり、すなわち国防だ。

国防の本質を考えると、戦力や武器という物理的なことではなく、

民族性・固有性・地域の自然摂理の維持であろう。

 

また、通貨に価値を保ち続けさせ

貨幣経済の死守は、世界中を簡易に単一に支配する

意図の国際金融家として、大規模な輸出入も必須条件である。

排斥対象国の自給率向上、個人の自給自足生活は、

優性思想の国際金融家にとって御法度だ。

 

 

 

 

茶番劇の事件事故テロ戦争などによって、

国際協定、条約、法律、何とか認定とかを

マスゴミで偽世論を捏造し民意を翻弄しながら、

それらを締結させ、手足を縛るが如く、

偽ユダによる日本支配が続いている。

条約・協定や認定は、調印や表彰のような

儀式(合意というイーブン)によって、

彼らの因果応報(見えない意識層のルール・無意識層)の

回避手段なのだろう。 

また、処分品さえ有難がって、相当の対価を支払う

愚客には、あの手この手(マスゴミ・その元手資金)を使ってでも

逃す事はしなかろう。

 

 *************

 

書籍「逝きし世の面影」で知った

幕末迄の日本の真実の姿や心象。

 

明治維新以降、軍事社会・その狂育で

日本人の幸福感は次第に薄れ、

徐々に人々の心や風景、生活が荒んでいったことが分かる。

勤勉さというプロパガンダがネックとなって、金銭獲得が目的に据えられ、

意地と我欲が産物となる「競争」意識が社会通念となり始め、

他人の苦しみ悲しみは己の悲しみ、という思いやりと真逆の、

他人の苦しみ悲しみが己の優越感になるという、

多くの人の意識が醜く変わっていった。

 

我慢と恐怖で村意識を巧みに操られ、善良で真面目な国民性

ゆえに勤勉金銭労働は浸透した。

譲る、労る、慮る、心意気、無償さ、慎み…、

様々な徳性は失われていった。

代わりにギブアンドテイク思考が根付きはじめた。

(現代に至ってはテイクアンドギブへと成り下がった)

 

また、知的財産を創出する能力にも長けていた、

日本という国家・国民は戦後、偽ユダにとって使い勝手の良い、

‘世界中の貨幣価値の維持装置’と見做され位置付けされ、

利用されてきたであろう。

 

 

開国や戦後という時代の節目ごとに、

日本人は、西洋の物質文明に一般人も指導者権力者も

脅威を感じ、愚直な反省で疑問も浮かばず、

その文化に憧憬さえ抱いてきた。(現代では同化さえ試みる世相だ)

日本の権力者の野心と引替えに彼らの悪魔思想を受入れてしまった。

一般人は、‘見せかけの公明さで、

マスゴミ・国際的というレッテルの有名性、建前の契約や儀式など)

世界を演出して来た人間を未だ崇敬・信頼している。

その存在(偽油田)から、欺かれ続けていることに、

いつになったら日本人は気付くのだろう…。

 

 

 

***********************

 

 

 話は本題に戻るが、

ここ数年は、マスゴミで米油の話題を取り上げたようで、

見直される風潮が起きた。店頭では以前より流通量も増えたのか、

米油が目立つように並んでいる。

が、その話題を取り上げた直後に、福島原発事故があった

記憶を重ねる必要があろう、と。

日本屈指の米どころである。

放射能汚染の可能性が高い米が安価に流通し、

原料にしていることも考えられ得る。

 

 

 

(だからこそ、国内原料調達可能な米油をマスゴミが取り上げたように憶測。

公共放送局が某情報番組で米油を取上げたのは2008年で大震災(2011年)以前だが、

人工地震だろうことを加味すると、それさえも準備されていたのではないか、と

捻くれた疑念を持ってしまう。巧妙さがズバ抜けているヤツラの指図は

抜かりなく完璧だ…)

 

ちなみに、日本でイタリア料理、いわゆるイタ飯ブーム(マスゴミ発)が

起きた(させた)のも、チェルノブイリ原発事故で、

放射能汚染された輸入トマトを日本で消費させるための

プロパガンダだったであろう、と家人が話していた。

 

 

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コンビニやスーパーで市販されている一般的な菓子類の

せんべいやあられが、以前はほとんどUSAやタイの輸入米が原料だった。

だが、ここ数年はやたら国産米を売りにしたパッケージが目立つ。

おそらく、米油と同じような事情と思われる。

立入り禁止以外の場所でも汚染の可能性がある産地の米は

原価が安いだろうこと(企業利益率UP)、

原発事故以降の国内調達可能な原料の米糠油や米菓類の製造に関して、

日本人が減少(激減)する恣意を持つ、偽油田には好都合で、

「国内原料による製造品の消費」には珍しく、口を挟んで来ない、

むしろ、奨励している模様だ。

 

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上記内容を踏まえ、偽ユダ、マスゴミの真の目的を鑑みると、

半世紀近く前の事件にも着目したくなった…。

(カネミ油症事件について記されたブログや社会技術論文、Wikipedia等を参考にさせて頂いた)

 

1968年10月4日に大牟田保健所へ食中毒の疑いとして

‘一市民’(被害症状を持つ九電社員)が、申し出たとのこと。

10月10日付、ライスオイルを事件性があるとして、

朝日新聞西部本社版夕刊が初めて取上げた化学性食中毒、

カネミ油症事件だ。

朝日新聞記者の妻の友人にそれらしい病状があり、

訴求を込めての発信であったという。

 

 

この事件は、北九州のカネミ倉庫株式会社が、

商品名“ライスオイル”と称する米油を製造販売。

脱臭工程中、PCB(絶縁油・ポリ塩化ビフェニル)が、

(1881ドイツ初合成/1929USA工業生産/

品名カネクロール400・鐘淵化学製、鐘紡グループ企業)

(1972年行政指導・1973年化学物質の審査及び製造等の規制に

関する法律を制定・発効1975年。日本では2社が製造。

三菱モンサントは1969年製造開始1974年以降も国内生産。

 

食用米油に混入し、約半年もその現場ミスに気付かず、

一般市場へ出荷され売られていった。

その商品を料理に使った家庭で、次々と前例の無い皮膚病や肝臓疾患が

起きている事で、徐々に事件性が明らかになってきた。

西日本でその被害が広がりおよそ1万4千人が被害を訴えた。

死亡50人、被害者認定されたのは顕著な症状の1857人と少ない

 

 

カネミのライスオイル製造工程残渣の油滓や飛沫油を

養鶏(ブロイラー・採卵鶏)の餌としていたそうだが、

事件沙汰になるの半年前の2〜3月。

同時期に製造された油分飼料によって、

(資料により数字が異なる)70万羽中毒・約20万羽死亡、

または、200万羽中毒、約40万羽死亡という大惨事、

‘ダーク油事件’が起きていた。

 

この時点で家畜衛生試験場や福岡肥飼料検査所等の調査が

あったにもかかわらず、PCBが原因とは究明されず、

曖昧なまま事件が収束したという。

 

同年2月以降の約半年間、企業側の問題放置や、

九大病院皮膚科で前例のない症状を訴える

相次ぐ患者ら(同年2月〜10月)に対し、

のらりくらりの診察が続き、被害が広がってしまった

ことが指摘されている。

ダーク油事件を発端として食用米油が原因と分かるまで、

更に成分分析によってPCBと断定できるまでに、

半年以上を要したのだ。

 

現在とは研究設備の背景・企業倫理、

一般常識の違いを加味する必要はあろう。

(被害が累々と堆積した挙げ句のノウハウで、

社会保障や技術、社会システムが作られていく。

複雑化社会の元凶の一因。

 

朝日新聞夕刊(西部本社版)で、事件沙汰となって、

やっと、病院の診療調査や分析研究に本腰を入れ始めた。

きっかけが「新聞」である。

身近な人、直接関わる人の言葉や訴え、実態より、

印刷され公に知れ渡った出来事、事実を根拠としているであろう

‘媒体・メディア’が、信頼の要になる。

確かに、機動力が形作られ多くの人が動き出すには、

まず「知らせる・伝える」という役に立つ道具である。

だが、一方でマスゴミ汚染脳社会の病理とも言える。

 

マスコミへの過剰な信頼感やその威力がかえって、

目の前に在る現実、実態を軽んじる

思考癖・行動パターンが発生する。

余分なフィルターが大多数の人間の無意識に、

覆い被さっている様にも受け取れる。

 

この件が、事件沙汰になる前の経緯や原因究明に

時間のかかり過ぎたこと。製造工程での原因は、

ほぼ確定してはいるが、断定されてはいない。

他にも疑問が浮かんでくる。

 

 

半世紀経った今も被害を抱えた人たちがおられる。

心身の被害は計り知れない。

 

 

よって、安易な推測は許されないかもしれない。

だが、

米油を国内資源で調達し生産させたくない意図が、

この事件の深層にも隠されているのではなかろうか、と…。

 

 

 

 

油  1

 

 

どんなふうに食用油が作られているのか。

天ぷら油・サラダ油って何が原料なの?

サラダって?何故、油の名前になっちゃているの?という

素朴な疑問が子供の頃からあった。

 

最近は様々な工業製造品の製造工程についてもネットで手軽に調べられる。

この歳になって、子どもの頃の様々な疑問が解明し納得できて、助かるな…。

よって、ずいぶん前の疑問を解かんとする内容が多いことはご勘弁を。

 

 

 

油を使う料理に、現代日本では一般的に

サラダ油(原料不明_ブレンドだろう)とか、

大豆油(遺伝子組換)、コーン油(遺伝子組換)、キャノーラ油(菜種遺伝子組換)、

菜種油、パーム油、紅花油、ごま油、米油、綿油、グレープシード油、

エコナ(原料不明)、マーガリ(植物油原料・危険説)

ラードやバター…などを使用する。

 

それらが身体に良いとか悪いとか、議論されて久しい。

昨今はオメガ3.6.9や飽和・不飽和脂肪酸というカテゴリーで、

青魚の油とか、アマニ、えごま、オリーブ油などを

良質なもの、と言っている。

 

 

江戸時代の出島から揚げるという調理法が、

日本中に知れ渡っていっただろうことを思うと、

欧州食もその功罪は、計り知れない。

ひと昔前は、徳川家康が天ぷらを嗜好し過ぎた挙げ句に、

病気で亡くなった、という訓戒のような俗説を皆が口にしていた。

戦時中の節約プロパガンダの名残だったのか、

一般人の全うな判断なのか。

 ともかく、加熱した油分があまり身体に良くないことは、

薄々、皆が感じていたからだろう。

 

 

ちなみに、

アメリカ小麦戦略と日本人の食生活」鈴木猛夫著の抜粋部分。

“さらに戦前まで少なかった油料理を普及させるために

フライパン運動(油いため 運動)を展開し、

油の必要性を強調する栄養指導が熱心に行なわれた。”

とのこと。

 

 

だが、今もって一般消費者には、酸化の問題とか製造工程が危険という

程度しか認識されていない。人体へ悪影響を及ぼすであろう

食用油が市販されて、特に加熱油による揚げ物の

調理法や惣菜、加工食品が蔓延している。

平然と矛盾している市場は、一般人に疑問を与えない。

 

科学技術の進歩と騒ぐわりには、

いつまで経っても決め手となる信頼できる情報は、

食用油に関しても聞こえて来ない。

食した後、体内の変化をすぐ確認できるものでもない。

 

時代を経るごとに、農地拡大やオートメーション化、

運輸整備がなされ、安価になってもいるから、

油分を使った料理は以前にも増して手軽に食べる機会が増えた。

それに追い打ちをかけるような喧伝も著しい昨今。

 

 

この頃は高性能な調理器具や偽ユダ特許テフロン加工パン等で

油を最小限に抑え、揚げ焼きなのか。

「油を少ししか使っていないから、ヘルシーだよね」、

というようなマスゴミ・CMの垂れ流すキャッチコピーよろしく、

皆が決まり文句を口にしながら、揚げ物や炒め物を嬉々として食す。

 

言葉を置き換えれば、大量生産食用油を“少しでも使っているなら”、

ヘルシーではない。ナニ?ヘルシーって。

記号的文言(キャッチコピー)の刷込みで、思考停止の口癖は、

偽共感と偽安心感をもたらす。

要は、実態・現実からの逃避、ゴイム消費社会、村意識の悪習だ。

 

外部、マスゴミからの大量かつ支離滅裂な偽情報(画像映像の影響大)や

偽食狂育で分析や数値化を盲信し、

身体からの実感を受け止める内なる声・感覚が、

鈍り続けている現代日本人。

 

 

マスゴミからのCM映像や店頭に並ぶ商品パッケージの画像で

脳内イメージを支配され、視覚野に刷込まれた偽イメージ快感を

追従するための好奇心に振り回され、

味覚や食感(五感全体)が飼いならされている。

工場製造食品、化学調味料、添加物と共に、

不自然な植物油を摂取し続けている。

 

 

少し考えれば分かるだろう偽装のオリーブ油、大企業擁護の

インチキ特保Eコナなど原料調達や製造工程不明の食用油

健康志向の一般人をも偽健康情報で翻弄し、

病人は増加の一途を辿る。

油分の旨味に魅せられ、嗜好は止まらず食用油常食している

 

すべての生物が全身の各細胞膜からの指令が如く、

脂質や蛋白質を好む性があるから、

油に対する欲望をコントロールし難いのも致し方ないのだろう。

が、故に闇の勢力はそれをよくご存知のようで、

太古の昔の飢餓感の名残として、脂肪や油分を欲してしまうという

曖昧で眉唾な言説を延々と信じ込ませている。

 

ちなみに、油分と言えばカロリーを頭で考えるのが、現代人の常識の

ようだけれども、根拠にはならないかもしれないが、

千島学説・森下医学を知ってから、ワタシはカロリーという考え方に

信憑性を感じなくなった。

 

 

油分を欲するのは、細胞膜の構成要素の不足から、

来るのではないだろうか。(健康について安易な推測を書いては宜しくないのですが…)

 

肝臓に負担を掛けるような薬品・添加物を

口にする程に、細胞を全身に運搬する酵素などの不足、

細胞膜を生み出す材料それらが不足し、体は無意識に補填を欲し、

油分や蛋白質をやみくもに取り込みたい肉体からの衝動を抑えきれず、

脂っこいもの、高蛋白質が食べたくなるのではないか、と。

 

三大栄養素の過度な精製、

大工場生産の加工食品に添加される薬品類、

酸性雨、化学肥料や農薬で微生物は激減、

土壌劣化により、植物に含有される

ミネラルやビタミン・酵素などの細胞形成を

生物にも促す材料も、足りなくなっているだろうな、と。

更には、水の問題もあろうし、酵素を消耗させる

様々な偽食品や放射能も原因になるだろう。

 

要は、油、蛋白質、糖質をよく言われるホール状態、

食べられる全体の形・全体食を頂くのが自然な食の有様だろう。

抽出する油は人間の視点から考えれば酸化など、諸々の問題があり、

植物の側から考えれば、種を搾取された痛みがある。

地球を奪うようにしてしか存在できない、人工の悪徳を思う。

 

飽食時代を謳歌するのが‘人間第一主義’みたいな、

西洋礼賛思想の刷り込みで、摂取しない方がいい油を

大量に安価に製造販売する、多国籍企業&大企業営利の餌食に

一般人が成り続ける。

 

 

スーパー等の量販店をよく観察すると、

偽油田持ち株企業の製品が一般市場で

確実に需要されるように

多国籍企業製品&大企業製品(こちらも最近は偽油田大株主)

大量消費へ仕向けられていることが察知できる。

消費社会の隅々までゴイム生活が浸透し定着し続けるよう、

市場が形成されていることを知る必要があろう、と思う。

 

 

米ぬか油以外の、キャノーラやコーン、大豆等々、

植物油は、輸入に依存することを前提とした食用油

しかも、この20年位はもうほとんど‘遺伝子組換原料’で、

製造されている。

 

 

 

 今年3月に遺伝子組換についての講演会へ行った。

その時、渡されたパンフレットの中に、「日本がゴミ捨て場になる」

という、キャッチコピー(たぶん偽ユダ人発言)が記されていた。

その後、ネットで遺伝子組替え食品の輸入量と認可品目を調べたら、

やはり、世界中で日本が桁外れに、認可の種類が多いことに驚いた。

 

 

 

 

おばさんのテキトーな知恵

 

 

 大根と里芋を一緒に煮るとどちらも早く煮えるのを
経験的に感じる。たぶん、酵素の作用があるのだろう。

ジャガイモが意外にも、昆布との相性が良いようで、
煮物・煮込みに昆布・粉・刻み昆布は、
ジャガイモの旨味がぐっと出て来て美味しくなる気がする。


しょうがとにんにく使いにも、私なりのちょっとした
ヒントがある。

 

大雑把に言うと、

中華料理はにんにくの香りが強く出るよう、

すり下ろす、包丁の腹でつぶす。
しょうがは刻む。

 

イタリア料理なら、にんにくはスライス、
しょうがはあまり登場しないが使う時は、すり下ろす。

カレーのようなインド料理はにんにくはみじん切りで
しょうがはすり下ろす。

 

何が言いたいかというと、ユーラシア大陸の東側の料理は、
しょうがを刻んだ方が料理の味がしっくりくる。
西側の料理はにんにくをスライスにした料理で味が整う。

 

丁度、真ん中辺りの、
インドはそれより東のアジア圏より西側の影響の味が含まれている。

東側のタイ料理やベトナム料理は、
やっぱり中華に近い風味で、
しょうがやにんにく使いは中華料理と似ているように思う。

 

中東料理は2、3回程しか食べた事がないから、
何とも言えないのだけれども。
おそらく何と言っても、豊富なスパイス、ハーブが
風味を彩るだろうから、しょうがやにんにくも
その中のひとつという感じだろうか。

 

料理は元来、口伝だ。

昔から皆が地元で採れた食材を調理して、

食べて来たものが地域で作り続けられる。

そこにしかない風土・地形や気候、様々な自然の特性。

それが生物の個性・食の特徴を育んでもいるだろう。

風土に添って、理に適っていたから、

今日の私たちが存在できて来たのだろう。

(もう現代はヤツラの思惑通り、崩壊だ。。。)

 

 


人が移動する時、新たな料理が生まれたのだろうか。

切り方ひとつでも、歴史や人々の流れがあるような

気もしたりして。

各地域の個性は、時間・長い時代が

育んで来たんだなぁ、と。

 

 

中華料理を作る時に、しょうがをうっかりすり下ろすと、
どうも味が決まらない。

 

イタリア料理を作る時に、にんにくをすり下ろすと、
にんにくの良い香りが楽しめない。

 

で、日本料理と言えば、

いつからしょうがやにんにくを

使うようになったのか知らないが。
それらは薬味として、
毒消し臭み消しに昔から使われているなぁ、と。

 

 

 

大陸の地図を思い浮かべながら、

植物の旅、植物たちの意志伝言(ちょっと謎めいている)。。。

食材たちの出会い・伝承を

想像するのも、料理を体得するのにちょっとは役に立つかな?と

老婆心で思うこの頃。

 

私の思いつきと経験上のしょうがやにんにく使いを

本物の料理を知っている人が、

聞いたら一笑に伏されるだろう、

テキトーな経験論を書いてみた。

 

中華・タイ・インド・イタリア…どこそこ料理、と

言ったって、

所詮ワタシが作るのは、「擬き」であることを

先に伝えるべきだった。_ _;ょ。(苦笑)